「追悼 終戦への祈り――アフガニスタン・テロの犠牲者に捧ぐ」 小林正弥(千葉大学)
月曜日, 10月 8th, 2001
追悼 終戦への祈り――アフガニスタン・テロの犠牲者に捧ぐ
1.開戦の衝撃――文明の名の下の蛮行
遂に始まってしまった。10月7日――これが「開戦」の日である。
9月末より、アメリカの対応に若干の自制心が働き、一度は攻撃を直前に中止して、国務長官らが中東・中央アジアを歴訪して限定攻撃を示唆していたので、いきなり大量報復という最悪の事態は避けられると少し安堵していた[i]。再構成したHPのトップ・ページの背景色も、これに合わせて、赤から藍色に変更した。今回の攻撃は、その意味では予想通りだが、やはり「開戦」という事態の意味は深刻である。
アメリカ国防総省提供の映像で、出発する巡航ミサイルがテレビに映されている。しかし、その到着先では、何が起こっているだろうか? 画面には何も映されず、日本も含め各国首脳の戦争支持のコメントが次々流される。我々にはまだ、空爆の被害の大きさを知る由もない。
まず間違いなく、何人ものアフガニスタンの無辜の民が既に亡くなっているだろう[ii]。そして、2-3日間は続くという空爆の間に、今からもさらに死んでいくだろう。如何にテロ組織と軍事的施設に限定した攻撃と言っても、民間人が誰も死なないという事は、まず考えられない[iii]。 湾岸戦争時には、国防総省の発表ですら、トマホークの的中率は約1割にしか過ぎなかったという。逆に言えば、それ以外の9割は、幸い誰にも当たらなかった か、罪なき民を殺したか、どちらかである。昨夜の攻撃では、ビンラディン氏やオマル師は、無事だったと伝えられている。つまり、第1撃では、「犯人」や 「敵国」指導者は死なず、民が亡くなった訳である。これは、「文明を守る」という名分の下の、殺人であり、「文明」の名の下の「蛮行」である。
これは、ロシア ン・ルーレットのような世界である。アフガニスタンの人々の立場になって考えてみよう。この3日間ぐらいに、間違いなく、誰かが突然飛来するミサイルや、 爆撃によって死ぬ。それは、私か、あなたか、それとも同胞の誰かである。ここには、殺人の恐怖がある。これは、米英による国家的なロシアン・ルーレットで あり、――論説第2部で書いたように――国家的テロではなかろうか? これは、アフガニスタンに於ける米英の「国際的国家テロ」なのである。
アメリカ・テロ事件の犠牲者の時と同様に、アフガニスタン・テロ事件の犠牲者を追悼の意を捧げたい。既に、死者は出てしまった。せめて、アフガニスタン・テロ事件の犠牲者数が、アメリカ・テロ事件の犠牲者数を上回らない事を祈りたい。
2.失われた、生命と解決の可能性――「白鳥の歌」の危険性
私は、一切の「戦争」が起こらない事を願いつつ、NYテ ロ事件発生以来、全力で「論説」を書き続けてきた。報復の悪循環を繰り返す事なかれ――この倫理的観点からすれば、既に、この第1撃だけで、恐れていた事 態は起こってしまった事になる。アメリカは、既に殺人を犯し、これはイスラムの側に憎悪を引き起こしているからである。失われた生命は、最早戻らない。そ して、パキスタンのデモの激しさを見よ。ビデオに現れたビンラディン氏の訴えを聞け。これらは、将来に禍根を残すに違いない。
ビンラディン氏 は、「米国民が味わっている恐怖は、これまで我々が味わってきたものと同じだ。我々ムスリムは80年以上、人間性と尊厳を踏みにじられ、血を流してき た。」と言い、――「広島・長崎では何十万の人もの老人や若者が殺されたが、米国は犯罪だとは認めなかった」と日本への原爆投下にも触れて(!)――(イ ラク・パレスチナ・アフガニスタンなどへの「破壊行為」を糾弾しない)西洋の二重基準(ダブル・スタンダード)を非難した。そして、「米国民よ、私は神に 誓う。パレスチナに平和が訪れない限り、異教徒の軍隊がムハンマドの地から出て行かない限り、米国に平和は訪れない」と結んだ。この言葉を、テロリストの 正当化とのみ聞いて嘲笑すべきではあるまい。おそらくは死を目前にした「イスラム聖戦士」の「白鳥の歌」ないし「最後の言葉」として、イスラム教徒の中で 反響し、死後にますます英雄化される危険に目を向けなければならない。
私から見てすら も、アメリカが――湾岸戦争以来――サウジアラビアに駐留を続けている必然性は、余り存在しないように思われる。パレスチナ問題の解決はすぐには困難であ るにしても、例えばサウジアラビアの駐留軍の撤退は、極めて容易な決定である。湾岸戦争の後に、アメリカ軍がサウジアラビアに駐留を続ける必然性など、そ もそもなかったのではなかろうか? その傲慢な決定が、ラディン氏らを怒らせ、今回の「テロ」事件を発生させたのだから、アメリカ政府当局者は、自国の民 の犠牲について、過去の政策を反省しなければならないはずである。パレスチナ問題ないし中東問題全体が、この反省の対象になるべき事は言う迄もない。
アメリカは、反撃 によって、血で血を洗う争いに踏み込む事無く、むしろ自らの政策を見直す事によって、問題の根源を解決すべきであった。そうしてイスラム民衆の納得を得る 事によって、「テロリスト」への民衆の同情を殺ぎ、民衆を離反させる事こそ、テロ問題を抜本的に解決する道である。かつて――今のラディン氏のように―― 悪党視されていたアラファト議長を、今や自治政府の長として遇している事を思え。これこそ、問題の解決に至る唯一の方法である。サウジアラビアからの撤兵 を即時に決定し、中東政策の根本的変更=譲歩を約束する事が、何よりも必要である。過激派はともかくとして、原理主義的勢力一般が軟化し、イスラム民衆の 抑圧感が減少する事によってこそ、テロを根絶する事が可能になるのである。
この根本的問題か ら目を背けて論じるテロ対策は、一切が彌縫策である。まして、「戦争」は、局面の悪化を招くだけであり、倫理的にも政治的にも、もっとも愚かな選択肢であ る。過去の政策の誤りを直視する勇気を持たずに暴力に訴える事によって、アメリカは、無辜の民を殺しただけでなく、抜本的な問題解決の可能性を失ってし まった。そして、今後のイスラム・テロとアメリカ・テロの報復で、さらに多くの人命が失われるであろう。失ったものは、実に大きい。しかし、だからと言っ て、絶望感に捉われるわけにはいかない。まだ残されている可能性を検討し、さらに危険な方途を回避すべく努めなければならない。
3.アメリカの選択――その不当性と最後の一線
アメリカが自らの誤謬を反省する態度を示さない以上、NYの「テロ」に対する直接の対応ないし展開には、次のような可能性が考えられた。
①国際法に則った犯人の拘束・裁判・処罰。国際的なテロ対策。
②国連安保理決議に基づく多国籍軍の限定的攻撃。
③アメリカの自衛権行使(及び他国の集団的安全保障)による報復攻撃(以下同じ)――アルカイダに的を絞った限定攻撃、特殊部隊による身柄拘束作戦。
④アルカイダに限定した空爆と特殊部隊による作戦。
⑤アルカイダのみならず、タリバーンにも及ぶ限定攻撃。空爆及び特殊部隊による作戦。北部同盟支援などによる政権転覆と、北部同盟や元国王を中心とする新政権樹立。
⑥アルカイダ・タリバーン双方に対する地上軍投入。政権転覆と、北部同盟や元国王を中心とする新政権樹立。
⑦アフガニスタンのみならず、イラクなど他の諸国やその地の過激派組織への攻撃。
⑧イスラエルがパレスチナ過激派などを攻撃し、アメリカ軍事作戦とパレスチナ紛争とが連動する事。
勿論、①が最も望 ましく、②―④がそれに次ぐ。アメリカの態度からして、①・②の実現は到底不可能だと思われたが、③・④には一縷の望みを持っていた。論説第2部で、タリ バーン打倒を目的とする事を激しく批判したのは、このためである。空爆を行なった場合は、民間人の犠牲者が相当出る事は避けられないから、アルカイダに的 を絞った③を望んだのであるが、空爆をしないとアメリカ軍の犠牲者が増える危険が高いので、この2つの中では、③ではなく、④に訴える事は間違いないと思 われた。
しかし、ここまで ならば、――支持は出来ないにしても――あくまでテロ組織への反撃であり、テロ対策という大義名分が立つから、「戦争」が将来拡大し、例えば、世界戦争へ の導火線となる事はないと思われた。つまり、これまでもアメリカが数多く行なってきたような、(倫理的・法的には疑問の多い)一時的軍事的攻撃ないし紛争 介入が、拡大したような形になるであろう。勿論、心情倫理から見れば、これでもなお――合法的ではない殺人が伴う以上――認め難い。しかし、結果倫理の立 場からすれば、アメリカにとっても致命的な結果になるとは言えないであろう。
然るに、アメリカ が当面実行したのは、大統領演説の通り、タリバーン政権をも打倒の対象とする⑤の選択肢であった。それ故、私の論説の批判は相当程度妥当する。タリバーン 打倒のために、空爆をはじめ攻撃が拡大すればすれほど、妥当するようになる。それが、大量報復と言えるような規模へと至らない事を祈るのみである。
ビンラディン氏の 住居だけでなく、オマル師の住居を攻撃した事は、倫理的・法的に正当なのだろうか? タリバーンに抑圧されたアフガニスタンの人々を解放するため、と言う かもしれない。これは、アメリカの常套句であるが、そこには何らの国際的正統性も存在しない。これは、アメリカの自衛権に基づく「開戦」である事を想起し よう。抑圧からの解放は、断じて自衛権の問題ではない。それ故、そのような戦争目的を掲げるならば、アメリカは国際的な違法行為を行っている事になるので ある。
空爆及び限定的な 特殊部隊の作戦で、ビンラディン氏が「生死を問わず」捕獲されれば、アメリカは軍事作戦を止めるだろうか? それとも、タリバーン政権が崩壊するまで攻撃 を続けるのだろうか? ビンラディン氏個人を捕まえるために、タリバーン政権を攻撃するならば、攻撃を停止しなければならない。しかし、アルカイダ組織の 全滅を狙うとすれば、タリバーン全体をも崩壊させなければ、アメリカは満足しないかもしれない。この時、ますます正当性は疑わしくなり、違法性が増す事に なる。
ミサイルと同時 に、アメリカは食糧などをも投下するという。勿論、このような人道的配慮は、無いよりはましである。しかし、それが口実となって、攻撃を正当化する事は許 されない。如何に食糧を投下しても、ミサイルで死ぬ人を救う事は出来ないからである。食糧投下によってミサイルの犠牲を糊塗しようとするならば、それは憎 むべき偽善となろう[iv]。為すべき事は単純である。食糧だけを投下すればよいのである。タリバーンの地対空ミサイルが危険ならば、国際的援助機関に食糧を提供すればよいだけである。
最後の一線とし て、この攻撃の直接・間接の被害者(飢餓や病気の拡大、難民としての死なども含む)の数が、NYテロの犠牲者数を上回らない事を祈ろう。もし、そこまで行 けば、英米軍の攻撃は、正に「報復=復讐」となり、それを超えた場合には、英米軍の方が邪悪なテロ組織という事になる。地球的ないし中立的な立場から見れ ば、最早、そこには、一片の正義も認められない事になろう。タリバーン政権を撃滅しても、テロの根絶は出来ないのだから、この攻撃によって、将来のテロの 犠牲者を助ける事になるという弁護も、不可能であろう。
「目には目を」と いう論理を第2部で批判したが、「目」に対して顔や頭を吹き飛ばす事を認める「正義」など、古代アラビア以下である。国際法を純粋に適用すれば、アメリカ [...]


