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「追悼 終戦への祈り――アフガニスタン・テロの犠牲者に捧ぐ」 小林正弥(千葉大学)

Posted: on 2:28 pm | 主張・意見・コメント(opinions), 平和問題

追悼 終戦への祈り――アフガニスタン・テロの犠牲者に捧ぐ

1.開戦の衝撃――文明の名の下の蛮行
遂に始まってしまった。10月7日――これが「開戦」の日である。

  9月末より、アメリカの対応に若干の自制心が働き、一度は攻撃を直前に中止して、国務長官らが中東・中央アジアを歴訪して限定攻撃を示唆していたので、いきなり大量報復という最悪の事態は避けられると少し安堵していた[i]。再構成したHPのトップ・ページの背景色も、これに合わせて、赤から藍色に変更した。今回の攻撃は、その意味では予想通りだが、やはり「開戦」という事態の意味は深刻である。

  アメリカ国防総省提供の映像で、出発する巡航ミサイルがテレビに映されている。しかし、その到着先では、何が起こっているだろうか? 画面には何も映されず、日本も含め各国首脳の戦争支持のコメントが次々流される。我々にはまだ、空爆の被害の大きさを知る由もない。

  まず間違いなく、何人ものアフガニスタンの無辜の民が既に亡くなっているだろう[ii]。そして、2-3日間は続くという空爆の間に、今からもさらに死んでいくだろう。如何にテロ組織と軍事的施設に限定した攻撃と言っても、民間人が誰も死なないという事は、まず考えられない[iii]。 湾岸戦争時には、国防総省の発表ですら、トマホークの的中率は約1割にしか過ぎなかったという。逆に言えば、それ以外の9割は、幸い誰にも当たらなかった か、罪なき民を殺したか、どちらかである。昨夜の攻撃では、ビンラディン氏やオマル師は、無事だったと伝えられている。つまり、第1撃では、「犯人」や 「敵国」指導者は死なず、民が亡くなった訳である。これは、「文明を守る」という名分の下の、殺人であり、「文明」の名の下の「蛮行」である。

  これは、ロシア ン・ルーレットのような世界である。アフガニスタンの人々の立場になって考えてみよう。この3日間ぐらいに、間違いなく、誰かが突然飛来するミサイルや、 爆撃によって死ぬ。それは、私か、あなたか、それとも同胞の誰かである。ここには、殺人の恐怖がある。これは、米英による国家的なロシアン・ルーレットで あり、――論説第2部で書いたように――国家的テロではなかろうか? これは、アフガニスタンに於ける米英の「国際的国家テロ」なのである。 

  アメリカ・テロ事件の犠牲者の時と同様に、アフガニスタン・テロ事件の犠牲者を追悼の意を捧げたい。既に、死者は出てしまった。せめて、アフガニスタン・テロ事件の犠牲者数が、アメリカ・テロ事件の犠牲者数を上回らない事を祈りたい。

2.失われた、生命と解決の可能性――「白鳥の歌」の危険性
私は、一切の「戦争」が起こらない事を願いつつ、NYテ ロ事件発生以来、全力で「論説」を書き続けてきた。報復の悪循環を繰り返す事なかれ――この倫理的観点からすれば、既に、この第1撃だけで、恐れていた事 態は起こってしまった事になる。アメリカは、既に殺人を犯し、これはイスラムの側に憎悪を引き起こしているからである。失われた生命は、最早戻らない。そ して、パキスタンのデモの激しさを見よ。ビデオに現れたビンラディン氏の訴えを聞け。これらは、将来に禍根を残すに違いない。  

  ビンラディン氏 は、「米国民が味わっている恐怖は、これまで我々が味わってきたものと同じだ。我々ムスリムは80年以上、人間性と尊厳を踏みにじられ、血を流してき た。」と言い、――「広島・長崎では何十万の人もの老人や若者が殺されたが、米国は犯罪だとは認めなかった」と日本への原爆投下にも触れて(!)――(イ ラク・パレスチナ・アフガニスタンなどへの「破壊行為」を糾弾しない)西洋の二重基準(ダブル・スタンダード)を非難した。そして、「米国民よ、私は神に 誓う。パレスチナに平和が訪れない限り、異教徒の軍隊がムハンマドの地から出て行かない限り、米国に平和は訪れない」と結んだ。この言葉を、テロリストの 正当化とのみ聞いて嘲笑すべきではあるまい。おそらくは死を目前にした「イスラム聖戦士」の「白鳥の歌」ないし「最後の言葉」として、イスラム教徒の中で 反響し、死後にますます英雄化される危険に目を向けなければならない。

  私から見てすら も、アメリカが――湾岸戦争以来――サウジアラビアに駐留を続けている必然性は、余り存在しないように思われる。パレスチナ問題の解決はすぐには困難であ るにしても、例えばサウジアラビアの駐留軍の撤退は、極めて容易な決定である。湾岸戦争の後に、アメリカ軍がサウジアラビアに駐留を続ける必然性など、そ もそもなかったのではなかろうか? その傲慢な決定が、ラディン氏らを怒らせ、今回の「テロ」事件を発生させたのだから、アメリカ政府当局者は、自国の民 の犠牲について、過去の政策を反省しなければならないはずである。パレスチナ問題ないし中東問題全体が、この反省の対象になるべき事は言う迄もない。

  アメリカは、反撃 によって、血で血を洗う争いに踏み込む事無く、むしろ自らの政策を見直す事によって、問題の根源を解決すべきであった。そうしてイスラム民衆の納得を得る 事によって、「テロリスト」への民衆の同情を殺ぎ、民衆を離反させる事こそ、テロ問題を抜本的に解決する道である。かつて――今のラディン氏のように―― 悪党視されていたアラファト議長を、今や自治政府の長として遇している事を思え。これこそ、問題の解決に至る唯一の方法である。サウジアラビアからの撤兵 を即時に決定し、中東政策の根本的変更=譲歩を約束する事が、何よりも必要である。過激派はともかくとして、原理主義的勢力一般が軟化し、イスラム民衆の 抑圧感が減少する事によってこそ、テロを根絶する事が可能になるのである。

  この根本的問題か ら目を背けて論じるテロ対策は、一切が彌縫策である。まして、「戦争」は、局面の悪化を招くだけであり、倫理的にも政治的にも、もっとも愚かな選択肢であ る。過去の政策の誤りを直視する勇気を持たずに暴力に訴える事によって、アメリカは、無辜の民を殺しただけでなく、抜本的な問題解決の可能性を失ってし まった。そして、今後のイスラム・テロとアメリカ・テロの報復で、さらに多くの人命が失われるであろう。失ったものは、実に大きい。しかし、だからと言っ て、絶望感に捉われるわけにはいかない。まだ残されている可能性を検討し、さらに危険な方途を回避すべく努めなければならない。

3.アメリカの選択――その不当性と最後の一線
アメリカが自らの誤謬を反省する態度を示さない以上、NYの「テロ」に対する直接の対応ないし展開には、次のような可能性が考えられた。

①国際法に則った犯人の拘束・裁判・処罰。国際的なテロ対策。
②国連安保理決議に基づく多国籍軍の限定的攻撃。
③アメリカの自衛権行使(及び他国の集団的安全保障)による報復攻撃(以下同じ)――アルカイダに的を絞った限定攻撃、特殊部隊による身柄拘束作戦。
④アルカイダに限定した空爆と特殊部隊による作戦。
⑤アルカイダのみならず、タリバーンにも及ぶ限定攻撃。空爆及び特殊部隊による作戦。北部同盟支援などによる政権転覆と、北部同盟や元国王を中心とする新政権樹立。
⑥アルカイダ・タリバーン双方に対する地上軍投入。政権転覆と、北部同盟や元国王を中心とする新政権樹立。
⑦アフガニスタンのみならず、イラクなど他の諸国やその地の過激派組織への攻撃。
⑧イスラエルがパレスチナ過激派などを攻撃し、アメリカ軍事作戦とパレスチナ紛争とが連動する事。

  勿論、①が最も望 ましく、②―④がそれに次ぐ。アメリカの態度からして、①・②の実現は到底不可能だと思われたが、③・④には一縷の望みを持っていた。論説第2部で、タリ バーン打倒を目的とする事を激しく批判したのは、このためである。空爆を行なった場合は、民間人の犠牲者が相当出る事は避けられないから、アルカイダに的 を絞った③を望んだのであるが、空爆をしないとアメリカ軍の犠牲者が増える危険が高いので、この2つの中では、③ではなく、④に訴える事は間違いないと思 われた。

  しかし、ここまで ならば、――支持は出来ないにしても――あくまでテロ組織への反撃であり、テロ対策という大義名分が立つから、「戦争」が将来拡大し、例えば、世界戦争へ の導火線となる事はないと思われた。つまり、これまでもアメリカが数多く行なってきたような、(倫理的・法的には疑問の多い)一時的軍事的攻撃ないし紛争 介入が、拡大したような形になるであろう。勿論、心情倫理から見れば、これでもなお――合法的ではない殺人が伴う以上――認め難い。しかし、結果倫理の立 場からすれば、アメリカにとっても致命的な結果になるとは言えないであろう。

  然るに、アメリカ が当面実行したのは、大統領演説の通り、タリバーン政権をも打倒の対象とする⑤の選択肢であった。それ故、私の論説の批判は相当程度妥当する。タリバーン 打倒のために、空爆をはじめ攻撃が拡大すればすれほど、妥当するようになる。それが、大量報復と言えるような規模へと至らない事を祈るのみである。

  ビンラディン氏の 住居だけでなく、オマル師の住居を攻撃した事は、倫理的・法的に正当なのだろうか? タリバーンに抑圧されたアフガニスタンの人々を解放するため、と言う かもしれない。これは、アメリカの常套句であるが、そこには何らの国際的正統性も存在しない。これは、アメリカの自衛権に基づく「開戦」である事を想起し よう。抑圧からの解放は、断じて自衛権の問題ではない。それ故、そのような戦争目的を掲げるならば、アメリカは国際的な違法行為を行っている事になるので ある。

  空爆及び限定的な 特殊部隊の作戦で、ビンラディン氏が「生死を問わず」捕獲されれば、アメリカは軍事作戦を止めるだろうか? それとも、タリバーン政権が崩壊するまで攻撃 を続けるのだろうか? ビンラディン氏個人を捕まえるために、タリバーン政権を攻撃するならば、攻撃を停止しなければならない。しかし、アルカイダ組織の 全滅を狙うとすれば、タリバーン全体をも崩壊させなければ、アメリカは満足しないかもしれない。この時、ますます正当性は疑わしくなり、違法性が増す事に なる。

  ミサイルと同時 に、アメリカは食糧などをも投下するという。勿論、このような人道的配慮は、無いよりはましである。しかし、それが口実となって、攻撃を正当化する事は許 されない。如何に食糧を投下しても、ミサイルで死ぬ人を救う事は出来ないからである。食糧投下によってミサイルの犠牲を糊塗しようとするならば、それは憎 むべき偽善となろう[iv]。為すべき事は単純である。食糧だけを投下すればよいのである。タリバーンの地対空ミサイルが危険ならば、国際的援助機関に食糧を提供すればよいだけである。

  最後の一線とし て、この攻撃の直接・間接の被害者(飢餓や病気の拡大、難民としての死なども含む)の数が、NYテロの犠牲者数を上回らない事を祈ろう。もし、そこまで行 けば、英米軍の攻撃は、正に「報復=復讐」となり、それを超えた場合には、英米軍の方が邪悪なテロ組織という事になる。地球的ないし中立的な立場から見れ ば、最早、そこには、一片の正義も認められない事になろう。タリバーン政権を撃滅しても、テロの根絶は出来ないのだから、この攻撃によって、将来のテロの 犠牲者を助ける事になるという弁護も、不可能であろう。

  「目には目を」と いう論理を第2部で批判したが、「目」に対して顔や頭を吹き飛ばす事を認める「正義」など、古代アラビア以下である。国際法を純粋に適用すれば、アメリカ の「自衛権」を口実とする「開戦」は違法行為に他ならない(第2部参照)から、既にアメリカは違法な殺人という罪を犯した事になる。しかし、アメリカの犠 牲者への同情が強い現時点では、まだ断罪されないで済む可能性は残っているかもしれない。それ故に、アメリカのためにも、これ以上進んで、最後の一線を越 える事のないように祈る。この線を越えた時、如何なる意味に於いてもアメリカの頭上に「正義」はなくなり、時を経て、断罪が世に現れるだろう。

4.死線へと向かう危険――アメリカへの警告
「最後の一線」とは、アメリカにとっての「死線(dead line)」 である。この「死線」へと近づく危険は、決して少なくはない。まず憂慮されるのは、ビンラディン氏をすぐ殺せず、タリバーン政権もすぐには転覆できない 時、アメリカが――特殊部隊のみならず――本格的な地上軍投入という⑥の選択肢へと移行する事である。勿論、これは双方の犠牲者を多大にするから、倫理的 に望ましくない。しかし、この場合、人命を軽んじる軍事的合理性から見ても、危険が存在する。

  簡単に北部同盟が 全土を制圧出来ればまだしも、それに失敗して内戦が泥沼化すると、ここにはベトナム戦争の2の舞いとなる危険が生じてくる。始めは、少数の地上軍の投入の つもりでも、作戦が思ったような成果を上げられないと、追加的兵力を投入する事になり、徐々に「戦争」を拡大してゆく事になる――これは、ベトナム戦争で も見られた危険である。

  アメリカは、空爆 に限定して攻撃している限り、軍事的に敗北を喫する危険性はまず存在しない。イラク軍ですら簡単に圧倒した空軍力は、タリバーンなど歯牙にもかけない事 は、見やすい道理である。しかし、問題は、北部同盟が勝利しない限り、空爆だけでは、政権は崩壊しないかもしれないという事である。この場合、崩壊させる 為に、地上軍を投入して、自らの手で全土の制圧をしたいという誘惑が現れるに違いない。この誘惑に負けてはならない。条件の悪い場所での地上戦こそ、タリ バーン側にとって、勝利し得る唯一の可能性である。

  空爆は、さして自 分の命を危険に晒す事無く無辜の民を犠牲にするという点では、卑怯な手段であり、決して名誉な事ではない。一方的に殺すのだから、倫理的には、不正であ る。しかし、――アメリカの友として言えば――攻撃は空爆で止めよ。地上戦の危険を警告する、ロシア軍の体験者の警告を受け止めよ。空爆に止まる限り、軍 事的には不敗であるが、地上戦で勝利出来る保障は無い。米軍ないし北部同盟が首都を陥落・占拠する事は出来ても、その後に全土に展開するゲリラ戦で、タリ バーンを完全に制圧するのは容易ではないだろう。

  万一、地上戦にて こずるような事になると、アメリカにとっても、深刻な結果になる。つまり、心情倫理から、倫理的に不当であり、法的にも不当であるのみならず、結果倫理か らも、不当ないし愚かしい事になるかもしれないのである。9月末以来、アメリカは、少なくとも結果倫理から見て賢明な方向に移行したと思われたが、ここで 失敗すると、元の木阿弥になってしまう。アメリカは、このような危険な賭けをすべきではない。自制心を発揮して、地上軍の投入を断念すべきである。そもそ もは、このような誘惑に陥る危険を避けるために、タリバーン打倒を目標とすべきではなかったのである。

  さらに、首尾よく タリバーン政権の打倒に成功しても、北部同盟にせよ、元国王にせよ、安定的な後継政権の構築は、極めて困難である。内部分裂の可能性もあるし、残存するタ リバーン側との戦闘も残るであろう。それは、さらに国土の疲弊や内戦及び「戦争」の長期化を招くかもしれない。これこそ、ベトナム戦争の悪夢の再現なので ある。

5.死線の先に俟つ絶対的危険――「パレスチナの大義」への点火
さらに恐るべき事は、アメリカが思わしくない結果に苛立ち、遂に自制心を失って、⑦の選択肢へと走る事、即ち、――当初にラムズフェルド国防長官などが主張したように――イラクなど他国ないし他国のテロ組織へと攻撃を加える事である[v]。 今日、イラクは当然として、イランまでもがアメリカ批判を行った事に注意する必要がある。当初、イランは、単純なアメリカ批判を避け、むしろ同情を示し て、国際的なテロ対策会議を呼びかけていた。これは、「文明間の対話」を主張している国の、有意義な反応であったが、その後は態度を変更し、攻撃によっ て、遂に明確なアメリカ批判に回ったわけである。

  こ の例が物語るように、⑦の選択肢を取ると、「イスラムの大義」が呼び起こされ、原理主義の強大化により、パキスタンはもとより湾岸諸国の政治的動揺が引き 起こされかねない。これこそ、第1部で危険を警告した「文明の衝突」へのシナリオである。最近、アメリカは、この危険を回避するような自制心を見せてお り、これが継続する事を強く願う。この「戦争」を本格的な「文明衝突戦争」へと展開させてはならない。

  さすがに、アメリ カが積極的に⑧のコースを選択するとは考えられない。今回の「戦争」とパレスチナ紛争が連動してしまえば、イスラム側から見れば、これは「聖戦」そのもの になってしまう。これこそ、正しく「文明の衝突」であり、ここには「世界戦争」の危機が生じうる。もし、「パレスチナの大義」が呼び覚めされてしまえば、 サウジアラビアやエジプトのように、現在はアメリカに消極的ながら協力している国ですら、最早協力は不可能であろう。このような選択肢を意識的に取るなら ば、結果倫理に反しているどころか、殆ど狂気の沙汰である。如何にブッシュ政権が血気に走っていても、このような事態になった時の恐ろしさは、想像がつく はずである。

  しかし、問題は、 事態が予期せざる展開をする危険がある事である。現在のイスラエルが、極めて好戦的なシャロン政権である事を忘れてはならない。おそらく、アメリカは、イ スラエルとパレスチナ自治政府の双方に停戦するように強力に働きかけているが、それですらイスラエル政府は攻撃ないし反撃を行なっているのである。シャロ ン政権が、無謀な攻撃を行い、自治政府が崩壊するなどして、パレスチナに「戦争」が起こる危険を考慮しておかなければならない。

 「パレスチナの大義」に火を付けることなかれ。それは、既に始まってしまった「戦争」が「世界戦争」へと転化するという、悪夢のシナリオが起動する時である。NYテロによって、導火線に付いた火が、爆弾の本体にまで達し、爆発が起こってしまう時である。

  幸い、現在のアメリカの方針を見る限り、これは杞憂に終わるように見える。しかし、これは、確かに存在し得る危険であるが故に、警戒を怠ってはならない。これは、既に「死線」の先にある絶対的危険である。絶対に回避しなければならない危険なのである。

6.ここで止めよ――公共悪に抗議する公共的美徳
  それ故、私達は、既に始まってしまった「戦火」がこれ以上拡大しないように、声を上げるべきである。少なくとも、大量の地上軍投入(⑥)へと走らないよう に。出来れば、アルカイダに攻撃を限定するように(④)。タリバーンまで攻撃するのは不当であり、さらに地上軍投入は危険である、と。況や、イラクなど他 の諸国へと攻撃を拡大(⑦)して、ゆめゆめ「パレスチナの大義」に火を付ける事は決してないように(⑧)、と。

  アメリカが当初の 姿勢を後退させて限定作戦へと転じたのも、パウエル国務長官などによる政府部内での慎重な意見だけによるものではなく、イスラム諸国の反米デモや、国内の 反戦デモ、またイスラム諸国からの(大規模な攻撃への)反対ないし牽制を考慮した結果であろう。抗議や反対の声は、一見すぐには影響を与えられないように 見えても、このような形で政策に影響を与える事もあるのである。

  第2部で、「日本 政府は、アメリカの方針を知ってから、それに応じて協力方針を考えるべきだ」と述べた。①ならば、全面的に協力すべきである。②-④でも、限定的に協力す る余地があろう。しかし、アメリカは、⑤を選択し、⑥へと拡大させる可能性も、決して低くはない。それ故、日本は、明らかに軍事的に協力すべきではない。 テロ対策には積極的に協力するが、それを含め、平和的な手段によってのみ協力すべきである。

  現在、国会で検討 しているテロ対策特別措置法案は、――第2部で述べたように――疑う余地なく違憲であり、このような立法を許す事は、憲法と国会の自殺行為である。今の状 況に於いて、このような法律を作る事は、アメリカの主導する「戦争」に実質的に「参戦」する事に他ならず、テロ対策特別措置法案とは、いわば「参戦法案」 に他ならない。「旗を見せよ(Show the Flag)」 とは、「参戦せよ」という命令であり、日本は、唯々諾々と「参戦」しようとしている。これは言う迄もなく、平和憲法と平和主義の死である。このような違憲 法案を性急に成立させようとしている政府は、実質的にクーデターを行なっているに等しいのではなかろうか? それは、「政府クーデター」であり、小泉内閣 は、いわば「クーデター内閣」なのである。

  も し、「参戦」するならば、日本もまた「国家テロ」の共犯者となってしまう。私達は、自分達が「国家テロ」の共犯者の一員となってしまうという危険から、そ の恥辱から身を守らなければならない。平和憲法を殺し、実質的に憲法秩序を変革してしまうような「政府クーデター」を許してはならない。米英による「国際 的国家テロ」に加担する共犯者となることなかれ。現内閣による「政府クーデター」を黙認することなかれ。そのために、最善を尽くすのが、「公共的市民=公 共民」の美徳であろう。「戦争」という「公共悪=公悪」の回避と終焉に向けて、全力で努めるのが、公共民の政治的な徳、即ち「公共的美徳」であろう。

  「ここで止めよ」 ――こう声を上げて、世界中の公共民は、今や立ち上がるべき時である。「NYテロの犠牲者と同様に、既に爆撃によって亡くなった死者達は、最早還らない。 犠牲者をこれ以上増やさないために、これ以上の戦火の拡大を止めよ」――公共悪を終わらせるために、こう抗議し、抵抗すべき時である。「平和=和」のため に、全力で努めるべき時、戦うべき時である。反戦平和のために立ち上がっている全世界の公共民に、心からの敬意と声援を送る。また、そのために戦っている 「公共的政治家=公共(世界)家」にも、心からの敬意と声援を送る。それら同志達の「平和のための戦い=和戦」が勝利を収め、再び平和が訪れますように。

  戦火が拡大する事無く、まして「文明の衝突」による世界戦争へと至る事も無く、一刻も早く「終戦」の日が訪れるよう祈る。その日まで、無辜の民の犠牲者が一人でも少ない事を祈る。
                            (10月8日、11日加筆)


[i] 第4部の注記箇所(未掲載)で、言及した箇所があるので、引用しておく。
「ア メリカ政府も、大量報復を示唆するような当初の激した調子は、9月24日以降に相当変化したように思われる。9月28日には、英国のガーディアンが数日内 の空爆の可能性を伝えたが、それも実行直前に中止され、周辺諸国の理解を求めるために、ラムズフェルト国防長官らがサウジアラビアなどの中東・中央アジア 諸国を歴訪した。さらに、大規模攻撃には慎重な姿勢を示し、限定空爆を検討していると語った(10月4日)。また、人道目的のためにアフガニスタンへの食 料投下も計画し、そのために地対空ミサイルを爆撃するという形で、軍事行動の名目を『報復』から『人道支援の安全確保』に変えようとしているようである。 アフガンないしイスラムの人々に配慮して、このような比較的柔らかな方法を用い、国際的圧力や北部同盟への支援によって、タリバーンの自己崩壊を狙ってい ると伝えられる。
 第2部で触れたパウエル国務長官の線が、現在までの所、実現しているようで あり、アメリカのためにもアフガンの民のためにも、極めて望ましい。おそらく、ここには世界各地からの反対の声が反映していると共に、本稿で主張している ような結果倫理の観点からの考察と似た結論に、アメリカの政権内部でも到達したのかもしれない。
 勿論、これが結果倫理からの『冷徹な計算』に基づくものである限り、アメリ カにとって不利でなければ、部分的には冷酷な軍事行動を行なう可能性も少なくはない。軍事的行動が『人道的支援』という名目に変わっても、限定空爆の範囲 内で無辜の民を殺す可能性は、まだ消えてはいない。また――ベトナム戦争の時のように――当初は限定的作戦だったのに、思うような効果があがらないため に、徐々に作戦が大規模になっていく可能性も存在するであろう。それ故、なお事態は予断を許さず、結果倫理のみならず、心情倫理にも立脚した、真に人道的 な『作戦』が望まれるのである。」(10月第1週時点)なお、最新情報については、注5を参照。

[ii] 4時半時点のアフガニスタン系の報道では、首都カブールで20人以上の民間人の死者が出たと言う。犠牲者数は、連日増えていくに違いない。アフガン・イスラム放送では、死者72人、負傷者100人と報道されているという(11日)。

[iii] 案の定、この文章の執筆後、8日に国連の地雷撤去に携わるNGO事務所が爆撃され、アフガニスタン職員4人が死亡、4人が怪我をした、と伝えられた。

[iv] 現に、NGOは、片手で撃っておいて片手で助けても人道援助にならない、と批判した。医療NGO「国境なき医師団」は、「人道援助などではなく、国際世論に爆撃を受け入れさせるための軍のプロパガンダだ」と声明で批判した(8日)。また、フランスNGO「飢餓に対する行動」の幹部からは「量も少ないし、空からの投下では困っている人に届かない」し、さらに、「今後、人道援助に軍事的・政治的意図が隠されているのではないか、と疑われてしまう」という懸念が表明されている(朝日、10日)。

[v] 現に、恐るべき事に、武力行使をめぐる安保理の非公式協議で、アメリカは、「アフガン以外の国に対しても武力行使が必要になる可能性がある」と述べた(8日)。
ア メリカ内部の意思決定過程については、次のような報道がなされている。9月15日の国家安全保障会議で、ウルフォウィツ国防副長官がイラク攻撃を強硬に主 張して、周辺諸国の理解の必要性を主張するパウエル国務長官と対立し、6時間の激論が行なわれた末に、「中途半端なことはしない。今度は戦争だ」と合意し た、という。16日には、大統領がライス補佐官に「まずアルカイダをたたく。状況によって戦いの相手をテロ全体に広げる」という考え(パウエル案とウル フォイツ案との折衷案)を打ち明けたという。20日の上下両院合同本会議の演説も、始めは余りにも敵意に満ちていたので、パウエル国務長官は、「テロは、 アメリカだけではなく、世界を攻撃した」という点を強調するように進言した、という。さらに、最終的な「開戦」の時期決定は、(空爆機が撃墜された場合 に、救出作戦を行なう)山岳師団のウズベクシタン到着を待ってなされた(6日)、という(以上、毎日、10日)。
こ の報道から、パウエル国務長官の努力によって、アメリカ単独で極端な大量報復作戦を初めから行なう事が避けられた点が判明する。これは、第2部で期待した 通りであるが、深刻なのは、それにも拘らず、大統領が「状況によって、戦いの相手をテロ全体に広げる」としている事で、安保理協議でのアメリカの発言は、 これに対応していると考えられる。従って、最近アメリカが当初より慎重な外交的努力をしているからと言って、安心は出来ない事になる。それは、パウエル国 務長官やブレア首相の建言によるものであり、大統領自身は、イラクを始めとする戦線の拡大という危険な選択肢を、まだ考慮していると思われるからである。
この報道を見て、既に本文で述べたような、「ここで止めよ」という声を上げる必要性をますます感じた次第である(11日)。

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