山脇直司『グローカル公共哲学――「活私開公」のヴィジョンのために』
金曜日, 4月 4th, 2008
山脇 直司『グローカル公共哲学――「活私開公」のヴィジョンのために』
(公共哲学叢書 9)
ISBN:978-4-13-010107-3
2008年1月刊行
紹介・書評
毎日新聞(2月10日東京朝刊) 山内昌之氏による紹介→こちら
「週刊エコノミスト」(4月1日号) 五十嵐武士氏による書評
金曜日, 4月 4th, 2008
山脇 直司『グローカル公共哲学――「活私開公」のヴィジョンのために』
(公共哲学叢書 9)
ISBN:978-4-13-010107-3
2008年1月刊行
紹介・書評
毎日新聞(2月10日東京朝刊) 山内昌之氏による紹介→こちら
「週刊エコノミスト」(4月1日号) 五十嵐武士氏による書評
土曜日, 10月 6th, 2007
1.山脇直司、大沢真理 大森 彌 松原隆一郎 編『現代日本のパブリック・フィロソフィ』(新世社、1998年)は、今日の日本において、「公共哲学」を初めて本格的に取り上げて論じた画期的な著作です。その代表的な編者・山脇直司教授は、この著作の刊行を契機として、以下の公共哲学共同研究会に参加され、(科研費)公共哲学研究会の代表を努められています。「公共哲学宣言」と合わせてお読みいただければ、私達の運動の起点となる思想を知る事ができます。この著作の目次については、書名をクリックしてください。また、山脇教授は、『新社会哲学宣言』(創文社、1999年)でも公共哲学に言及され、「公共哲学宣言」にいう「学問革命」の基本的構図を学問論として提示しておられます。この本については、『創文』の文章をご覧ください。
山脇直司(東京大学)
公共世界-自己-他者」理解の革新–『新社会哲学宣言』に寄せて–,『創文』(2000年4月号) (⇒創文社)
公共哲学による学問の構造改革を!,『環』(2002年4月)、藤原書店
2.山脇直司『経済の倫理学』(丸善、2002年)が刊行されました。この本に対する書評を掲載します。
竹中英俊
山脇直司著『経済の倫理学』をめぐって
3.将来世代国際財団・将来世代総合研究所が主催した公共哲学関連の研究会は、『UP』(東京大学出版会)誌で紹介されています。
山脇直司(東京大学)
ハーバード・フォーラム『地球時代の公共哲学』を終えて,『UP』2000年12月号(338号)
今田高俊(東京工業大学)
グローカル公共哲学の射程-新自由主義に抗して,『UP』2002年2月号(352号)
小林正弥(千葉大学)
社会諸科学の哲学・政治哲学・公共哲学――『政治的恩顧主義(クライエンテリズム)論』の方法論的背景とその展開(上・下),『UP』2001年9・10月号(347・348号)
小林正弥(千葉大学)
『政治的恩顧主義論ーー日本政治研究序説』,東京大学出版会、2000年
4.公共哲学共同研究会(1998-2000年度)
この研究会は、将来世代国際財団・将来世代総合研究所〔金泰昌所長〕によって開催されたもので、本科研費プロジェクト(2001-2004年度)の起点となるものでした。アジアにおける公共哲学の樹立を目指し、日本の代表的な研究者が京都に集って、1~2ヶ月に一度づつ、「公共性」や「公/私」の観念を中心に活発な議論を展開してきました。その成果は、まず将来世代国際財団より刊行され、再編集されて、東京大学出版会から10冊のシリーズ『公共哲学』として出版がはじめられています。
海外でも、韓国(ソウル大学)・中国(北京社会科学研究院)・イギリス(ケンブリッジ大学、キングス・コレッジ)・アメリカ(ハーヴァード大学)等で国際会議を開催し、代表的研究者達と討論を重ねてきました。そして本センター長(小林)は、公共哲学共同研究会に始めから継続的に参加し、特に国際会議については、公共哲学共同研究会ニュース(将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集)などに詳細な紹介・感想を寄稿しています。ご参考までに、将来世代総合研究所の許可を得て、その文章を掲載致します。
小林正弥(千葉大学)
「日韓公共哲学共同研究会所感」(金栄国、金弘宇、具範謨 、鄭允在/金泰昌、溝口雄三、山脇直司、渡辺浩等、199年2月20ー22日) (『日韓で初めて語る公私問題ーー第8回公共哲学共同研究会(ソウル会議)--』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年5月9日、219-220頁)
「ケンブリッジ・フォーラム所感ーー概括と成功報告」
(ジョン・ダン、レイモンド・ゴイス、マクマレン、マクマダーモット/金泰昌、山脇直司、塩野谷祐一、足立幸男等、1999年9月12-15日) (『公共哲学共同研究会ニュース』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年12月5日、第7号、1-7頁、20001年2月改訂)
「ハーヴァード地球的公共哲学セミナー所感ーー共同体主義者達との交感」
(チャールズ・テイラー、マイケル・サンデル、ド・バリ/金泰昌、山脇直司、大沼保昭等、2000年3月7-9日) (『公共哲学共同研究ニュース』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、2000年4月1日、第9号、2-12頁、20001年2月改訂)
「総合論的公共性論–新公共体主義の展望」 (『日韓で初めて語る公私問題――第8回公共哲学共同研究会(ソウル会議)――』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年5月9日、123-131頁、2001年2月改訂)
土曜日, 10月 6th, 2007
小林正弥(千葉大学)
一、序 戦後日本政治理論の盲点――大衆的自我主義と新国家主義
戦後日本政治理論にとって、戦前のような(天皇制的)国家主義は、克服すべき最大の問題であり、「国家=公=官」という三位一体のトリアーデは、それ以来一貫して批判の対象であった。しかしながら、このような国家主義的公観念の批判に精力を注ぐ反面、積極的に追求されるべき公共性の概念について理論的彫琢が軽視されてきた事は否めない。
この結果、優れた思想家ないし学者の提唱した「倫理的個人主義」が、大衆では私益追求・欲望追求を正当化する「自我主義」として受容される事となった。この「大衆的自我主義」は、戦後の経済発展を促す一因となったものの、同時に、私企業の私益追求を至上の目的と見倣す「会社集団主義的自我主義」、政官財に於ける親分―子分関係の「(政治的)自我主義」、「公」たるべき官僚制に於ける「(新)家産官僚制的自我主義」を生み出すに至った。
近年、このような(政官財の)腐敗が顕在化し、「国家=公=官」が激しく批判されて、分権化や「民」への移行(民営化、規制緩和)が正当にも主張されている。しかしながら、その一方で、自我主義を批判しつつ、「国家=公」の復権を主張する(危険な)新国家主義ないし新国粋主義も現れている。実際には、自我主義と新国家主義とは、「国家=公(個人=私)」という国家主義的公(私)観念を前提とした同位対立にしか過ぎない。そこで、このような公(私)観念から脱却し、新しい公共性観念を政治哲学ないし新公共哲学のかたちで提起する事により、戦後日本政治理論の盲点を埋めると共に、この不毛な二項対立から脱却する方途を呈示することにしたい。
二、公共性理論-条件・公共場・公協性/公開性
自我主義と新国家主義との二項対立は、政治哲学に於けるととの対立に対応する。さらに、哲学的には、この二つの立場は、近代的な(デカルト-ニュートン的世界観に於ける)原子論と古典的な(ギリシャ哲学やヘーゲルなど)全体論との対立に対応する。この二つの立場は、究極的には「分多論(分多性公理)」と「全一論(全一性公理)」と呼ぶ事が出来るが、現実の世界にはこの双方の側面が存在するから、いずれかの単一原理で説明するのは無理である。そこで、一元論的説明ではなく、この双方の原理から説明する二元論的構成ないし(総合論的)な三元論的構成が必要であり、公共性論に於いても、二元論ないし三元論的な(総合論的)公共性論を提起したい。
近年の公共性論に於いて重要なハンナ・アーレントは、「人間の条件」として、生命、生誕性(natality)、必死性(mortality)、世界性 (worldliness)、複数性(plurality)、地球性を挙げているが、本稿では、これを生命性(生誕性・必死性はここに含まれる)、世界性(地球はここに含まれる)、分多性(複数性はここに含まれる)の三要素に集約すると共に、分多性の対極として(ギリシアのポリスには存在していながら、アーレントが軽視した)全一性を加え、この四要素を「人間の条件」と考える。これに応じて、アーレントの言う「活動力」は、(生命性に対応する)労働、(世界性に対応する)仕事の他に、(分多性に対応する)単独活動(独行)及び(全一性に対応する)共同活動(協同、協働)という四種類に分ける事が出来、アーレントの言う(自由な言論を中軸とする)活動は、実は、独行と協同との架橋となるような媒介概念である。
次に、「人間の条件」に対応する「政治の条件」として、(生命性に対応する)人間主体、(世界性に対応する)場、(分多性に対応する)個体性、(全一性に対応する)共同性が存在する。即ち、政治とは、ある場(政治場)に於いて、そこに存在する人間の間での個体性と共同性が入り混じり、相互作用する現象であり、個体性が共同性を圧倒すれば対立・紛争が生じ、逆に共同性が優勢になれば、合意・調和・平和へと至る。
さらに、「公共性の条件」としては、以上の四条件に加えて、分多的な個体性が全一的な共同性へと至る為の「交流(様々なコミュニケーション)」(の回路)ないし「統合」(の機制)が存在する。この時、その政治場は「公共場」となり、そこにに成立する共同的ないし統合的な全体性が「公共性」である。分多的・原子論的な個体間の対立や相違から生じる問題が、公共場に於ける交流・統合機制による共感・同感・交歓・交響・理解・納得等を通じて、全体に共有され、全体にとって望ましい解決へと向かう時、そこに公共性が実現する事になる。つまり、公共性とは、分多性を有する「人間ないし政治の条件」に於いて、全一性を実現しようとするところに成立する、な全体的共通性なのである。それゆえ、公共性は、全体性と密接に関わる概念であり、「公益=公共的利益」は共同体全体にとっての利益を、また「公共善」は、共同体全体にとっての善を意味する。
しかしながら、通常の「公共性」には、この他に公開性・公然性という意味も含まれている。英仏語のpublicには、ここでいう公共・公開の双方の意味が存在するが、語源のラテン語publicusは「人民全体(に属する、関わる)」を含意するから、全体論的な公共性の意味を中核としている。これに対し、ドイツ語のOffentlichkeitの場合は、逆に公開性・公然性・開放性が原義である。このように、公共性と公開性・公然性は現実には深く関連し、しばしば区別されずに用いられているが、分析上は区別した方がよい。公共性の「共」は、「万人=人民全体」という全一論的な共同性の含意を帯びているのに対し、公開性・公然性は、公開されたり公然となるに際して(異質)の他者を前提としていると考えられるから、より分多論的・原子論的な場面を持つていると考えられよう。従って、この二つの差異を明確にする必要がある場合には、「全一論的公共性=公協性・公響性」「分多論的公共性=公開性・公然性」と呼び分ける事が出来よう。広義の公共性は、しばしば(対内的ないし対外的な)公開性・公然性をその要件とするが、狭義の公共性にとってはそれだけでは十分でなく、公協性(公の協同性)ないし公響性(公の公響性)の成立が必要である。言い換えれば、公共性には分多論的な公開性・公然性を踏まえつつ、それを全一論的な公協性(・公響性)へと止揚するところに成立するな概念なのである。
以上の区別に従って、公共場にも、公開場(公然場)と公協場(公響場)という二つの要素を区別し得る。公開場は、開示される内容を集団内部(対内的公開性)ないし外部(対外的公開性)に対して公開する機能を持つが、その内容に関する動向については中立的であり、場合によっては場の解体・戦争へと至るような破壊的な「闘争場」へと陥る危険性も存在する。これに対し、公協場・公響場は、対立する意見の存在が共有されると共に、知性の協同や感性の交響・共鳴により、(高次の統合や総合に止揚される)建設的な方向性を促す対理法的機能をもち、その意味に於いて、公共場は「対理法的場」なのである。例えば、ギリシアのアゴラや今日の議会のような公論の場は、少なくとも、その理念に於いては、意見対立ないし呈示を経つつ一人ひとりの意見が深化されて、(一定程度の)共同の意見が形成される方向に機能する時、即ち、対立を経つつ調和・統合に至る対理法的な場である時、公協場・公響場であり、そこに成立する全一性ないし共同性が狭義の公共性=公協性である。逆に、その討論が何ら上記のような全一的方向性をもたず、意見対立が破壊的な闘争へと帰結するに過ぎないならば、それは公開討論の場、即ち公開場であっても、公協場、即ち狭義の公共場ではない。公開場は、公開の競争・闘争場であって、必ずしも調和への方向性を持たない。
ハーバマスの言う「市民的公共性(Burgerlich Offentlichkeit)」(批判的公共性)は、主として公開性に関係するのに対し、公協性の方は「公共的公共性」(ないし人民的公共性)と呼ぶ事が出来るであろう。後者の公共性=公協性は、公響的過程を通じて生成する「(generative)公共性」である。
三、多次元的公共性理論――三次元理念空間と四次元時空間
公共場に於ける公共性(の実現)には、三つの形態ないし要素が存在する。第一は、対等者間の交流・交響による平等な公共性で、「水平的公共性」(=公平性)と呼ぶ事が出来る。第二は、不平等ないし不均等な上下者間に於ける(権力・権威による統合の結果生じる)「垂直的公共性」(=公権性)である。第三は、超越的な原理や規範・倫理に基づく「超越的公共性」(=公正性、公義性)である。例えば、アーレントやハーバマスが主張する(西洋的)公共性は、水平的公共性であり、日本の国家主義的公観念の中核をなすのは、垂直的公共性、中国の「天」観念に支えられた公共性は、超越的公共性である。従って、多様な公共性は、この三次元性を備えた「多次元的(三次元的)公共性」として分析する事が出来る。
アーレントやハーバマスの公共性論の大きな貢献は、――「公的領域(public sphere)」(アーレント)や「公共圏(Offentlichkeit)」(ハーバマス)のように――公共性に領域ないし空間概念を導入した事にある。本稿に於ける公共場は、これをさらに時間的次元にも拡大し、四次元時空間として定義される。つまり、「空間的公共性」のみならず、時間ないし世代を超えた、「時間的(ないし超時間的)公共性」も存在する。(環境問題などに於いて重要な)将来世代の利益への配慮は、時間的公共性の代表的な例であり、これを「世代間(超世代的)公共性」と呼ぼう。この場合、現存する人間主体は、現在世代のみであるが、時間的な公共場に於いては過去世代や将来世代が擬似的ないし仮想現実的な主体として想定され、世代間の分多的・個体的な利益対立に対し、全一的・共同的な超世代的利益の実現が図られる事になる。
かくして、四次元時空間の公共場に於いて(四次元的)主体間の分多的な個体性を全一的な共同性へと統合するのが公共性であり、公共性は水平・垂直・超越という三次元の精神空間=理念空間に於いて分析する事が出来るから、公共性論は、公共性を合計七次元空間(四次元現象時空間及び三次元理念空間)に於いて説明する事になる。アーレントやハーバマスの公共性論は、主として「四次元的公共性理論」であり、本稿の多次元的公共性論は、より包括的な「七次元的公共性理論」と言う事が出来るであろう。
四、公共体の概念――結成による共同体と公共国
公共場(公共的時空間)に何らかの公共性が実現しても、一般的にはそれが永続する保証はなく、また公共場の範域も流動的だから、これを「一時的・流動的公共場」と呼ぶ。例えば、「公的な言論の場=公開場」に於いて一時的に(意見対立を建設的な結論へと導く)「公共場」が成立したにしても、それがやがて破壊的な言論の闘争場へと変化しないという保証はない。そこで、紛争や戦争への危険性を内包するこのような事態を回避する為に、対話の・倫理・精神や決定方法(多数決、裁定等)を制度化し、公共場を持続させようという試みが現れる。このような試みによって――少なくともその理念に於いては――公共性が何らかの形で継続的に追求・実現されるようになった公共場を「持続的・固定的公共場」と呼ぶ。
さらに、このような持続的公共場が発展して、その場の構成員に一定の帰属意識が生まれ、構成員間に、公共性を形成する持続的集団という共同体意識が現れると、そこに「公共体」が生成する。これは、「自然的生成」であると同時に、構成員の合意による「作為的結成」でもあり、「自然的作為」による「生成=結成」ないし「結成(generative association)」と成る事が望ましい。この公共体の公共性形成に参与する構成員が「公共民」である。公共体という名称が適切なのは、ここに有機体的な全一性・全体性が(少なくとも理念として)存在するからである。
今日、「共和国」に言われている政治的共同体の、ラテン語の語源res publicaは「公共的なるもの、事」を表すから、‘res publica → republic’という語によって表示される政治的共同体一般は、むしろ「公共体」と訳されるべきであろう。公共体は、持続的公共場及び(その主体たる)公共民が存在すれば、いかなる形態でも成立させる事が出来るから、原理的に「国家」という形態の歴史的共同体に限定・拘束される必要はない。原始的な部族社会や古典期ギリシアのポリスや、さらに今日の自発的結社内部や(国家を超えた)国際的集団及び(時を超えた)超時間的共同体に於いても、公共体は成立し得る。特に、ギリシアのポリスを始め、都市的共同体に於いてリパブリックが当初発達した歴史に基づいて、公共性形成に参与する主体を、西洋では一般的にcitizenと呼び、日本ではしばしば「市民」と訳されているが、これも――歴史的経緯から離れて――原理的には「公共民」に等しい。
共同体(community)とは、多かれ少なかれ全一論的・全体論的共同性の存在する集団一般の事を指す(ものと定義する)。従って、公共体も共同体の一種であり、その部分集合である。しかしながら、共同体の中には全体論的要素のみが存在して原子論的要素が存在せず、閉鎖的・抑圧的な共同体も存在する。これは、「全体主義的共同体」であり、が批判される最大の理由は、このような共同体を正当化しかねない点にある。これに対し、公共体には、定義上、全体論的側面と同時に原子論的側面が存在し、それ故、開放的で自由である。即ち、公共体とは、共同体の中でも開放的で自由な「共同体」なのである。
公共性の内、全体論的な公協性の側面は、公共体が――共同体一般の場合と同様に――公共的=公協的理念を持つ事を可能にする。例えば、人間が美徳を身につけた公共世界=理想世界を実現する(美徳-公共主義)というような、完成主義的(perfectionist)
理念である。しかし、一方で、原子論的な公開性・開放性の側面は、公共体が――全体主義的共同体とは異なって――公共的=公開的・開放的性格を持つ事を意味する。従って、公共体は――少なくともその理念に於いては――自発的結社の一種と考える事が出来、自由加入・脱退及び外部との自由交流と公共性への自発的参与が存在するような、「自発的(自由)公共体」である。構成員たる公共民は、公共性の実現を求めて「公共生活(public life)」に参与し、(もし現状に満足出来ない時には)発言ないし反対の「声」をあげる事が出来るが、もしそれが有効に働かないと感じる時には、自由に離脱=「退出」する事が出来る(A・ハーシュマンの言う、退出exit・発言voice・忠誠loyalty)。
ただ、現実には、このような自由・自発的公共体を直ちに完全に実現する事が出来ない場合も多い。例えば、今日の国家は――後述の世界連邦も含め――国籍ないし公民権によって加入・脱退に制限を加えているから、直ちに純粋な自発的公共体へと移行する事は難しい。それでも、原理論的な自由を保障しつつ、全体論的な公共的理念を掲げて、可能な限り加入・脱退の自由を拡大しようとする事は可能であろう。そこで、公共体に「完全(純粋)自由・自発的公共体」の他に「限定的(不完全)自由・自発的公共体」という範疇を設ける事にしよう。すると、国家の中で、公共体の理念を可能な限り実現しようとする国家は、後者の類型に属する事になる。このような国家は――既存の「共和国」が主として王権の不在という消極的側面を意味するに過ぎないのに対し――積極的理念を内包する「公共国」と呼ぶ事が出来るであろう。前述のように、公共体の概念は、政治的共同体の基本的単位を「国家」から開放し、「国家」を相対化しつつ共同生活=公共生活の多様な展開を可能にするものであるが、国家もなお存続する限り、相対化された国家に、自由と両立し得る公共性の実現を図るという、「理想国家=理想公共国」実現の努力を妨げるものではないのである。
五、私的官と公的民――多層的・相対的・実質的公私概念
実際には、共同体ないし公共体は、重層的ないし並列的、多層的ないし多元的に存在する事が多い。この最小の単位が(通常は)家族と言われる親密圏=親密共同体であり、ここにも(夫婦等各人の)原子論的個人性と(一家としての)全体論的共同性の双方が存在するから、――「家=私」と見倣す公私二分観念に反して――本稿では、定義上、これも公共体の一種と考える事が出来よう。日本語の公は、語源的には「大(オホ)+家(ヤ)+場(ケ)」を表すから、通常の家族は「小」(コ・ヲ)+家(ヤ)+場(ケ)という事になるが、最小公共体=「家族公共体」と言う事は不可能ではないであろう。日本の家族制度に見られるように、家の観念は、しばしば空間的共同体であるのみならず、先祖や子孫も含む時間的共同体としても考えられる。つまり、家とは、四次元時空間に存在する基礎的共同体=公共体であり、その中には、家父長制・対等な夫婦・祖先崇拝等の、垂直的・水平的・超越的な三次元の理念的公共性を既に原型的に含んでいる。
しかし、個人ないし家族は、通常、より広域の共同体ないし公共体の中や下に、包み込まれて存在している。それ故、広域=上位の共同体=公共体と狭域=下位の共同体=公共体との関係が問題となり、公私の分割が生じる事になる。例えば、日本の公=国家に対し、私は家の領域に対応するし、古代ギリシャに於いても公=ポリスに対し私=であった。ただ、これらの「公私二分観念」に於いては、私的領域を個人ないし家族に限定し固定する事が多かったのに対し、多層的公共体という観念は、公私を多層的公共体の広狭・高低に於ける相対的概念と見倣す事を可能にし、ここに「多層的・相対的公私観念」が成立する。
この公私関係に於いて、公共性の対概念を「私個人(私独性)」と呼ぼう。これに相当する英語のプライベートの語源は、ラテン語のprivatus(公共生活からの退去)、さらに privare(奪った-過去形)だから、公共性が全体性に関連するのに対し、私個人は(本来は存在すると考えられる)その全体性の欠如を表す、と解釈しうる。それ故、ここから見ても、私個人は、(日本語の「私」のような)第一人称や家に限定される必然性は無く、より広い本来の公共性=全体性から見て欠如している状態も指す相対的概念と規定する事が可能である。
さらに、原子論的公共性=公開性の対概念となるのが、「全体論的私個性=私秘性(プライバシー privacy)」であり、これ自体は直ちに倫理的に悪いわけではない。共同体全体の中で原子論的な個人性の尊重を図るという観点からは、むしろ重要な守るべきものと考えられる。これに対し、全体論的公共性=公協性の対概念が、「原子論的私個性=私孤性・私我性」である。個人ないし共同体の私孤性・私我性が過度に突出すると、上位の共同体=公共体の公共性ないし公益の実現が阻害されるから、私孤性・私我性は、――上位の公共体の観点からは――問題視され、しばしば利己主義・自我主義的な悪と見倣される。
一定規模以上の公共場が公共体として制度化されると、――首長制以来――垂直的公共性=公権性が公権力として実体化して現れる事が多い。この公権力は、通常、政府機構という形を取り、ほぼいずれの言語に於いても(日・中・英等)政府(機構)の事を「公的」(パブリック public)と呼ぶようになる。同時に政府を支える官僚制を含め、この公権力は「官」と呼ばれ、「民」(民間)と対比される(官民分化)から、「官=公/民=私」という等式が成立する。これは、「形式的公私(官民)観念」と呼ぶ事が出来よう。
しかしながら、これは、公権力が常に垂直的公共性を担っているという想定に基づいており、その意味で「形式的公観念」に過ぎない。実際には、垂直的公共性の実体化とされている公権力に於いて、公共性は既に形骸化して「偽似的公共性」に転化してしまっている事が多い。この場合、政治権力=「公」は、実質的には私我的なのであり、「官=私」という「私(我)的官」となってしまっているのである。逆に、「民=私」という等式も「形式的私観念」に過ぎず、民間人や私企業やNGOの如き民間主体も、実質的には「真正公共性」を担っている場合が少なくない。このような時、「民」が実質的には公共的=公協的なのであり、「民=公」という「公(共)的民」となっている。以上のように、公私観念を形式的定義から解放し、本稿の如き「実質的公私(官民)観念」を採用すれば、「官=公/民=私」という固定的二分法は崩壊し、官にしても民にしても、公協的である場合も私我的である場合も存在する、という事になる。
かくして、観念に基づく哲学的な公私概念ないし公共性は、「官=公/民=私」という形式的公私概念を打破し、さらに公共体の概念は、「国家=公」という国家主義的公観念から離脱して、下は家族から上は世界・地球に至る、多層的・多元的公観念へと到達する事を可能にするのである。
六、新公共(体)主義の特徴――地球的・多層的・多元的・流動的・超世代的公共体
(アーレントや)ハーバマスの西洋的公共性論は、「分多性-原子性」を強調しており、「全一性-全体性」の要素を軽視している。これに対し、この双方の要素を含んでいる点で注目されるのが、の流れである。ポコックやスキナーらに代表される近年の西洋政治思想史研究は、公共性や公的政治参加を強調するが、ギリシア・ローマに端を発して、近代に於いて「フィレンツェ(マキャベリら)→清教徒革命期イギリス(ハリントンら)→アメリカ独立革命」と展開し(フランス革命にも大きな影響を与え)た事を明らかにした。本稿の公共性論は、この歴史的の一大系列を意識しつつ、特にルソー的社会契約論を哲学的に再構成したものである。
ただ、(republicanism)という用語は、反王制という近代的・国制的意味とあまりにも強く結合していて、公共性の重視・実現という含意がしばしば薄れがちなので、本稿ではres publica(公共のもの、公共に関する)というラテン語の原義に遡って「公共主義」ないし――‘リパブリカニズム=リパブリック(共和国)+イズム(主義)’と分解して ――「公共体主義」と表現する事にした。本稿では詳説し得ないが、時代的類型として、「古典的公共(体)主義」(ギリシア・ローマ)・「近代的公共(体)主義」(=)等が存在し、公共性の実現という目的を共にしながら、その具体的形態は多様であり、歴史的に変化していく。
そこで、本稿の理論的枠組に即して、21世紀の地球時代にふさわしい「新公共(体)主義」を構想すると、次のような特徴が考えられるであろう。
(1)逆説的ユートピア論……既存の(強制加入団体としての)国家を――弱者救済の為の一定程度の福祉等の機能は残すものの――基本的に「ユートピアの枠」(R・ノージック)として縮小再編しつつ、その内外に自発的公共体を創出し、以て原子論的な自由と全体論的な共同性との総合を実現する。
(2)ルソー的公共体……先述の「公共性の条件」の下で、公共場に於ける自発的公共体を――ルソー的社会契約論の原理に基づいて――結成する。
(3)公共民世界……従来の市民社会論が、あくまでも国家=公と個人=私とを媒介する中間団体としての自発的結社の役割に注目するのに対し、市民社会に於ける結社自体を、「公共民世界=諸公共体」と見る事になる。
(4)多層的・多元的共同体……公共体が国家以外にも多層的・多元的に存在する事になり、かつての多元的国家論が「多層的・多元的公共体論」として発展する事になる。この多層性から公私連鎖((7)を参照)が生じ、また多元性ないし並列性から、諸公共体によるネットワーク的な連合・連携(アソシエーション)が生じる。
(5)流動的公共体……メルッチらの「遊牧民」論が示しているように、社会構造やコミュニケーションの変化により、ネットワーク化が進み、公共体もまた、固定的・静態的公共体から流動的・動態的なネットワーク的公共体へと変化する傾向が現れ、公共(性の)場の動態的顕現形態となる。公共体が物象化・形骸化して擬似的公共体へと転落する危険性に対し、公共体の流動化は、流動的公共場と公共体との相互移行を容易にし、真正公共性を不断に確保する事を可能にする。
(6)地球的公共体……地球化・世界化の進展に伴って、公共体も空間的に拡大し、国民国家を超えた地球的共同体が発展してゆく。これは、まだ生成途上の「想像の共同体」(B・アンダーソン)に過ぎないが、地球公共民意識の成長が地球(連邦)的公共体への第一歩になろう(地球公共体宣言!)。
(7)多層的公-私連鎖……最大の地球的公共体から従来の国民国家を経て地方的共同体や最小の家族公共体ないし個人に至る、多層的公私連鎖が現れる。従来「公」と見倣された国家も、地球公共体から見れば「私」となり、国益も私益となる。
(8)最小・基礎的公共体……従来は私的領域と見倣された家族ないし親密圏も、個人から見れば、共同性・公共性の存在する、最小の基礎的公共体と考えられる。従って、公共性の実現は、まず家族公共体から出発する事になり、「修身斉家治国平天下」という儒教的発想が再生する。
(9)公共民経済(学)……同じく従来は私的領域とされていた市場経済の公共化が目指される。「国家=公」という国家主義的公観念に縛られていた社会主義・共産主義ないし(福祉国家に於ける新恩顧主義的な政治を帰結した)社会民主主義とは逆に、市場経済内部に於ける民間企業等経済主体の経済行為自体が ――「環境に優しい商品」のように――公共性に寄与するようになり、(民間人でありつつ、同時に公共的な)「公共民経済人」(企業家等)による「公共民経済(学)」が実現していく。
(10)超世代的公共体……公共場は時空間的概念だから、公共体構成員には過去世代・将来世代も含めて考える事が出来る。このような「超世代的(世代間的)公共性」に於いては、同胞公共民たる将来世代の利益も含めた、超世代的公益を考える事が必要であり、「時間的公共性/公益」の概念が必要である。
(11)世代公共体……従来、公共性の概念は主として空間的次元に即して考えられてきたのに対し、近年エリクソン心理学等から発展してきた「世代(継承性 generativity)」の概念は、むしろ時間的次元に重点を置いており、「時間的公共性」への貢献を世代と考える事が出来よう。「世代共同体=公共体」は、超世代的公共性を実現する、超世代的公共体の一時点に於ける表現である。
(12)七次元的公共性……以上のような四次元時空間に於ける諸公共体に於いて、垂直的公共性(=公権性)・水平的公共性(=公平性)・超越的公共性(=公正性・公義性)の三次元を統合的に実現する「公・共・善性」が理想となる。
(13)多層的・多元的・流動的アイデンティティー……(4)・(5)点の反映として、個々人のアイデンティティーも、多層的・多元的・流動的になる。
(14)美徳-公共体主義……(1)・(2)点の結果、各自発的公共体内部には、自由に完成主義的理念を実効的な公共的理念として掲げる事が可能になるから、「公共心(public mind)」をはじめ、美徳の会得による公共性の実現を目指す美徳-公共体主義が十全に展開し得る事になる。
(15)公共国……国家の場合、既に存在している為、純粋自発的公共体とするのは難しいが、限定的自発的公共体としての公共国と成るように努めるべきであろう。これは、――国民に多様な理念が存する限り――「ユートピアの枠」であるが故に、特定の理念を国民に強制する完成主義的国家ではあり得ないが、各種共同体の自由競争的成長・発展を支持・促進する政策を行う事は出来る。総じて、公共国に於いては、国民は自らの価値観に従って生きる自由(消極的自由-寛容)が保障され、自由に各種公共体に参加する事が出来る。(積極的自由)が、公共国としての(内容を厳密に特定されない)非強制的な美徳――公共主義一般を(プログラム規定のような)大理念として掲げる事は――国民の自由を阻害しない限り――可能であり、議会などの政治的な公共場に於いては「公開性」を制度化しつつ、「公共性・公響性」への精神的・倫理的方向性を実現する事が求められる。そして、特に、公共的政策の必要が存在する限り、それを形成・施行する政治家・公務員は――現行憲法にすら定められている通り、――公益実現の為に公僕として献身する事が必要であり、――国民一般は別にして――少数の公僕は、美徳-公共心を体現しなければならない。従来の権威主義的な官僚(制)は、「公的奉仕員(civil servant)=人倫的公僕(制)」へと転化しなければならないのである。
七、結語 個的・超個的二重精神革命
――総合的・対話的・実践的公共哲学の必要性
本稿では、戦後啓蒙、殊に日本政治理論の盲点であった公共性観念の弱体性を補うべく、公共性及び新公共(体)主義の概要を示した。それは、原子論的なと全体論的なとの止揚を目指すものであるが故に、新国家主義的なとは異なって、あくまでも戦後啓蒙の強調した倫理的個人性の確立を重視しつつ、その上でさらに――あるいは、それと同時並行的に――超個的な共同性・全体性としての公共性の実現を提唱するものである。従って、このような公共性を実現する為には、「個的・超個的二重精神革命=精神革命」が必要である。このような精神革命が遂行されてこそ初めて、新公共体主義を実現するに足る公共精神が培われることであろう。
そして、前節の論述からも明らかなように、新公共(体)主義の本格的展開にあたっては、単に政治学のみならず、哲学・心理学・倫理学・社会学等の多様な領域の観点を統合する事が必要である。これは、「ポリス=公的世界(全体)についての学」であったギリシア政治哲学のような、古典的構成を再生する事を意味する。ただ、今日では「政治」という用語は(政府を中心とする小領域として)余りにも狭義に用いられているので、「公共哲学」ないし――アーレントの「世界性」をも意識して――「公共世界(諸)学」と呼ぶ方が、適切であろう。
この新しい公共哲学は、諸学の知見・洞察を総合するという点と同時に、「分多論-原子論」と「全一論-全体論」の双方を新体理法的に総合するという点に於いても、総合(論)的である。つまり、これは、二重の意味に於いて「総合論的公共哲学」なのであり、本稿は、この総合論的観点に基づいた公共性の原論ないし要綱である。真に公共性を今日の世界に甦らせる為には、政治理論は「総合的・対話的(対理法的)・実践的公共哲学」たらねばならない。これは(敗戦後の「悔恨共同体」に於いて)分野を超えた知的交流の中から生まれた戦後日本政治理論の理想を、新世紀に於いて再生させ発展させていく道であり、かつ、その弱点を埋めて「個的・超個的公共(体)主義=美徳-公共(体)主義」を実現していく道なのである。
(『日韓で初めて語る公私問題――第8回公共哲学共同研究会(ソウル会議)――』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年5月9日、123-131頁、2001年2月改訂、なお、同書には、この報告に対する討論も掲載されている。)
土曜日, 10月 6th, 2007
「ハーヴァード地球的公共哲学セミナー所感──共同体主義者達との交感」
小林正弥(千葉大学法経学部法学科助教授)
1.序 ハーヴァード雑感──英米双方のケンブリッジ
私にとって、ハーヴァード大学(さらにはアメリカ自体)は初めて訪れた地であるが、にもかかわらず見慣れた地であるかのような既視感があった。というのは、このアメリカの最古の大学がケンブリッジ大学エマニュエル・コレッジの(礼拝堂のステンド・グラスに大きく飾られている)卒業生ジョン・ハーヴァードの残した遺産で創設されたからか、ケンブリッジ大学と物理的にも精神的にも共通の雰囲気が感じられたからである。(マサチューセッツ州)ケンブリッジという地名にも刻印されているように、前者のチャールズ川は、後者のケム川を連想させるし、建物は(チャンプニー様式など)後者のある時代の様式に似ており、さらに二・三日目の会議が開かれたハーヴァード・ファカルティ・クラブには、後者のカレッジそのものと言ってよいほどの類似性が存在した。逆に、──山脇氏の(以下敬称は基本的に「氏」で統一)御教示のとおり──すぐ近くにあるMIT の校舎とは対照的であり、MITビルディングが現代的で無機質・非人間的な印象を与えるのに対し、ハーヴァードの建物は、対照的に古典的な典雅さや人文主義的教養の背景を感じさせ、その知性の懐の深さを思わせた。率直に述べると、筆者はアメリカ文明の核心である科学主義的・技術主義的発想が好きではなく、それ故のアメリカではなくイギリスのケンブリッジ大学を海外研修の地として選んだのであるが、ことハーヴァード大学に関する限り、このような先入見を大いに改めることとなった。アメリカにも、幅広い教養の地がなお残っていることは、──現在の好景気にもかかわらず──夕陽の大国としか思えないこの国の将来になお希望をつながせるものである。かくして、ケンブリッジ・フォーラムに続いてこの地でセミナーが行われたことは、単に英米二国の代表的大学ということにとどまらず、英米双方のケンブリッジというつながりに鑑みて、公共哲学という主題にふさわしい、単なる偶然以上の連関を示しているように思われたのである。
2. 儒教的共同体主義と地球的・世代間的公共哲学図解──護教論と基本的ヴィジョン
豪華なチャールズ・ホテルで開催された初日の会議は、恒例のビデオや挨拶から始まり、参加者の自己紹介へと進んだが、先方の挨拶で印象に残ったのは、チャールズ・テイラー氏がまず「多元的な近代」という観念に言及し、マイケル・サンデル氏が公共哲学との関連における異なった伝統の意義や道徳的・宗教的切望について理解が深まることに期待を表明したことだった。この二人は、いわゆる共同体主義(コミュニタリアニズム)の代表者として世界的な名声を持っているが、(著書には明示的に述べられていないので)オックスフォード大学でサンデルが博士課程にある間にテイラーに教えを受けたという点は、筆者にとって初耳であり、おそらく日本の学界にとっても貴重な情報であろう。テイラーとサンデルの仕事は、共同体主義として括られるような共通の要素を勿論持っているが、サンデルは明示的にテイラーの見解に依拠するという形で議論を進めてはいないので、このような師弟関係の存在は外部からは必ずしも明瞭ではない。逆に言えば、今日の政治哲学における共同体主義の重要性と影響力を思う時、この師弟関係の果たした意義は、いくら強調しても、し過ぎることはないほどである。実際、傍で見ていて、この二人の間の信頼関係は、眩しく見えるほど美しいものであった。情報の意義に鑑み、この二人の発言については特に詳しく紹介することにしよう。
さて、まず初日の午前にはド・バリ氏が儒学の展開を公共哲学との関連において次のように整理された。『論語』に代表される第一段階から、君子の観念に見られるような自己発展の理念が存在し、共有・共通を意味する公の概念には既にユートピア的共同体主義の要素があった。『孟子』に代表される第二段階において、(公共善を表す)天理と(私益に相当する)人欲の対立が概念化され、『大学』の八条目に定式化されているように、前者によって(同心円状により広い共同体へと広がる)共同体主義的理想が説かれ、後者とはむしろ相補的な関係にあった。五倫のような儒教的論理は、元来は必ずしも忠孝に中心があるのではなく、君主への服従を強制するのは、歪んだ日本儒教の特色に過ぎない。さらに、新儒教は、仏教を拒否した公共哲学と考えられる。特に朱子学においては、理の観念が「宇宙全体─人間道徳」を貫通する原理とされ、統一性と多様性(理一文殊)、天地万物一体といったエコロジー的観念が内包されており、(仏教と異なって)公私を分別して真の自己へと至る自己修養と、それに立脚した共同体主義的理想が存在していた。これは、地球的公共哲学へとつながり得るものである。
氏の近著『アジア的価値と人権』(1998年)が「儒教的共同体主義的視角(A Confucian Communitarian Perspective)」という副題を有しているように、ド・バリ氏の報告は公共哲学としての儒学(特に朱子学)を一種の共同体主体と捉えてその意義を説明したもので、サンデル氏やテイラー氏も、自分達の思想との親近性を知って興味をもったようだった。サンデル氏は「魅力的」と評したし、テイラー氏はユダヤ教との類似性に言及して仏教的君子との関連について問い、ド・バリ氏は「仏教には政治的・社会的な教えがなく、国家が仏教を庇護したに過ぎない」と答えて、儒教の(仏教にない)意義を強調された。大沼氏が、日韓は公共哲学を提起するのに比較的適している旨述べたのに対し、ド・バリ氏は「十九世紀まで儒教はアジアに共通の文化だった」と応じられた。金泰昌氏は、「日本では新儒学が個人的哲学として私化されてしまい、また中国哲学の影響で私の価値が過度に軽視されてしまっている」と指摘され、メータ氏は制度との関連において儒教は難点を抱えている点を質問したが、ド・バリ氏は日本の儒教は(侍が担っていたが故に)「日本軍事学派」とでも言うべき歪んだものであるとして、制度との関連についても、「歴史的記録を見よ」と述べて、中国の本来の儒学を擁護した。金泰昌氏の公共空間についての質問については、儒教には「人々による政治」という要素はないものの、民意を統治者が聞く(Consultation)という意味での「人々のための政治」という側面は存在したとして、日本についても聖徳太子十七条憲法の例を挙げた。さらに、同じく金泰昌氏が問うた「国境を越えた公」については、「現実には皇帝の至上性を正統化する面が強かったものの、日本も他文明からの影響を受けているし、中国儒教は普遍主義的であって自民族中心主義ではない」とされ、大沼氏は、日本儒教にも国境を越えた例があることを補足された。
最後に、筆者は、ド・バリ氏の儒教擁護の熱意には心情的に敬意を示しつつも、儒教について全て肯定するような一般的印象を受けた点に懸念を表明し、「日中儒教の差異についての正当な指摘を考慮してもなお、儒教の遺産を二十一世紀の公共哲学の中に生かすためには、戦略的にも、(丸山眞男氏らが注目したような)歴史的儒教の(家父長的要素や非民主主義的といった)否定的側面を直視し反省を加えた上で、肯定的側面を新たに展開したほうがよいのではないか」と問うた。氏は、やはり「今言えるのは、記録を見よ、そして儒教についてより正確な教育を受けるべきだ、ということである」として、「(氏も会ったことのある)丸山氏の儒教理解は不正確であり、西洋中心主義的な偏見から脱却すべきである」と答えられた。筆者も、この点については氏に全く賛成であり、(あたかも儒者であるかの如く儒教に対する偏見と戦う)氏の真摯さに尊敬の念を惜しむ者ではない。しかし、素朴に考えて、儒教に限らず、いかなる大宗教・哲学といえども、それぞれ長所と弱点の双方を持つという見方の方が、むしろ自然であり、儒教に関しては長所のみ主張して短所を認めないという姿勢は、学問的な客観性を疑わしくし、ひいては「贔屓の引き倒し」という結果を招かないであろうか? 氏自身の著書についても、『中国における自由の伝統』(1983年)では自由という観点から朱子学を擁護し、前述のように近著では共同体主義として朱子学を擁護している。自由の伝統と共同体主義とは必ずしも矛盾するわけでないから、直ちに両者の間に矛盾があるとは言い難いが、儒学の自由主義的擁護と共同体主義的擁護の間に一定の緊張ないし重心の変化があることは、否み難いであろう。とすれば、氏の著作は、その時点において影響力のある思想を適宜借りて行う儒教護教論という感を免れず、知的一貫性の点で疑いが生じかねない。もっとも、筆者は両著作の検討を行ったわけではないので、この点の吟味は専門家に委ねたい。そして、私達は、西洋人ながら儒教の真価を深く理解され、通俗的な偏見の打破に努めて下さっている氏に、深く感謝の念を捧げるべきであろう。ただ、氏の説明の価値は、そのような西洋の背景を考慮してこそ十全に理解されるのであり、五・四運動や戦後啓蒙の如き儒教批判がなされねばならなかった歴史的・社会的必然性に眼を向ける時、中国や日本においては、氏の儒教擁護は若干素朴ナイーブに過ぎるという感が、拭い難いのである。
次に、──予定されていた日本側報告者が突然辞退するというハプニングが起こったので──金泰昌氏が予め用意しておられた図表「地球的・世代間的に応答的で責任を持つ公共哲学フォーラムの図解文法(The Illustrated Grammar of Global, Intergenerationally Responsive and Responsible Public Philosophy Forum)」を説明され、ハーヴァード側に共同作業を呼びかけられた。この図解は、──基本線を示して欲しいという要望に応えて──これまでの公共哲学共同研究会の討論内容を氏なりに集約しつつ、(それを牽引してこられた金氏自身の到達された)基本的ヴィジョンを図表として明快に示したものであり、その意味においてこの図解の明示的な定式化・公表は本プロジェクトの展開にとって画期的な意味を持つ出来事だったと言い得るであろう。討論過程に逐一接してきた筆者にとっては、図式の背後にある生きた議論と理論的生成過程が理解できるだけに、感慨深いものがあった。
ただ、惜しむらくは、おそらくハーヴァード側がそのような経験を共有していないためもあって、確たる反応が得られなかったことである。思うに、図式としては華麗であり、一見文句のつけようがないので、討論に入りにくかったのであろう。司会のサンデル氏は、このような雰囲気を敏感に感じ取り、ド・バリ氏の報告との関連に議論を促されたので、ド・バリ氏は、古典教育のカリキュラムの中に儒学の文献を入れるという自らの試みを話された。これに対し、メータ氏は学生が懐疑的になる可能性や教材選択における権威の根拠について問い(※)、ド・バリ氏は、「異なった伝統の古典を扱うからその間の相互比較が可能である」とした。サンデル氏は、日本の儒学についての教育について問われ、大沼氏が「(近年は若干改善の兆しがあるものの)低水準である」と答え、山脇氏及び筆者は日本の哲学的教育の貧困さを説明した。
筆者は、金泰昌氏の報告についての反応を求め、特にテイラー・サンデル両氏に対し、特に(特殊主義的・ローカル地方的な色彩が強い)共同体主義と地球的公共哲学との関連について問題にして、現在の共同体主義を地球的共同体主義へと拡大・発展される可能性について質問した。答えて下さったのはテイラー氏で、「共同体主義は、(例えばカント的・ロールズ的といった一つの理論枠組に対抗する)単一の原理ないし形而上学的枠組として存在するものではなく、自分はそのような意味では共同体主義者ではないが、『(一社会の連帯や公共民としての共通のアイデンティティーの存在ないし重要性故に現れてくる)他社会との間の善の衝突の可能性において、他の異なった社会の考え方を尊重し、そこから学び、自己批判の糧とする』という意味においては、私は共同体主義者である」とされた。共同体主義の地球的拡大という論点そのものに答えたわけではないものの、他の共同体の異文化の尊重と相互の対話への期待という点において自らを共同体主義者と自認する発言は、(文章では必ずしも明示していないので)貴重なものだったと言えよう。なお、その場では発言しなかったサンデル氏に晩餐の際コメントを求めたところ、「地球化との関連については明日自分の報告で話すので、その場で議論しよう」ということであった。
右のテイラー氏の返答は、本セミナーの大きな主題の一つである「共同体主義と地球的公共哲学との関係」について、議論が開始された一幕であったと言えよう。そこで、金泰昌氏は、「日本では共同体という訳語が抑圧的・排他的な悪い意味を持っているので当初共同体主義に好感を必ずしも持てなかったが、サンデル氏らの本を読み、今の応答を聞くに及んで誤解がとけた」と述べられた。これに対し、ド・バリ氏は、「共同体への反抗は時に共同体についての抽象的幻想に基づいている」として、(共同体には批判されるべき実態があったとする)金氏と対立し、「日本においても共同体批判は儒教の歪曲に基づいていて、儒教と結びつく必然性は存在しない」と主張された。これに対し、メータ氏が儒教の抑圧性に言及したところ、サンデル氏が「代替案を示せるか?」と鋭く迫ったのは、印象的であった。大沼氏は、「中国中心的秩序・イスラム中心的秩序といっても、前近代的秩序そのものに帰ることは意図されていない」と指摘された(※)。さらに、山脇氏が韓国におけるキリスト教徒の多さについて述べたのを受けて、ド・バリ氏は、「そこではキリスト教の儒教化・儒教のキリスト教化の双方が見られ、地球的文明にとって重要な示唆が存在する」と答えられた。総じて、ここまでは、一貫してアジアの儒教的共同体主義を擁護するド・バリ氏を軸として、サンデル氏が好意的であるのに対し、むしろアジア出自の金泰昌氏やメータ氏(インド系)が留保ないし批判を行い、大沼氏らが(批判の行き過ぎに対して、儒学の近代化に果たした役割などを指摘して)反論する、という構図が中心だったように思われる。
3、共同体主義の時間軸への展開──多元性と聖性
初日の最後の報告者は、注目のテイラー氏であり、その知名度故か、ベンハビブ女史らも姿を現した。まず、テイラー氏は「近現代をユダヤ教や中世などの一元論的発想の復活と捉え、プロテスタンティズム及びその後の世俗化した規範的一元論が、中世の位階制的秩序に代わって、(個人及び相互扶助を中核とする)(近)現代的道徳的秩序を形成した」とする。氏によれば、これは、世代間の問題について、二つの形で途方もなく大きな問題をもたらす。第一に、それまで人類は歴史的に社会関係の中に埋め込まれていたのに対し、主体がそこから遊離してしまい、そのような人間観が英米道徳哲学の中心となった。第二に、時間も、以前は永遠性や循環性のような高次の時間の中で考えられていたのに対し、世俗的時間へと変容した。この二つの変化の結果、(現在世代の利己主義というよりも)歴史や環境に対するコントロールの増大(※)から「文明の困難」が生じ、社会の多元化も将来世代のための解決策にはつながらない。これは、現代道徳秩序の孕む難題(アポリア)であり、氏自身も確たる解決策を提示することはできないが、次善の策として、問題の見方をこのように示したのである。
まず、金泰昌氏が、Ch. ラッシュのナルシシズム論に言及して、現在世代の利己主義について発言の真意を質したのに対し、テイラー氏は「利己主義の問題の存在を否定したのではなく、それは、より深い問題であると考えている」と答えられた。筆者には、テイラー氏の挙げた二点はいずれも(主体及び時間の)脱─埋め込みというように総括できると思えた。つまり、自己の脱─埋め込みという共同体主義論の基本テーゼを、時間軸にも適用して、世代間問題の考察を行っているわけである。そこで、「氏の(難題を指摘する)結論は、(宇宙論や意味的世界などに対する)何らかの形の再ー埋め込みという世界観の転換の必要性を含意するものなのか」と質問した。これに対して、氏はリオタールの言う「大きな物語の終焉」に言及して、「一定の世界観に戻ることは不可能である」と答えられた。ここで付言しておけば、休憩中に筆者が氏の用いる「存在論」という言葉の意味を聞いた際、氏は「『物事がかくあること』についてであって、形而上学的な深みを含むものの、それより広い内包を持つ」と答えられ、また氏のいう「真正な自己」と東洋的・ロマン主義的な「真の自己」との関連については、「前者は多様であり得るから後者のようには必ずしも収斂しない」と答えられた。要するに、テイラー氏は、世俗的・一元論的近代を批判しつつも、(多文化主義に現れているような)多元性を不可避と考えるが故に、前近代のような統一的世界観に戻るとは考えない。多元的近代という観念を提起している所以である。
それ以後の討論も、主としてこの点を軸にしていたと言ってよいであろう。大沼氏が、世俗化が心理的代償を求めるという機制を指摘した(※)のに対し、テイラー氏はアメリカのアイデンティティーをめぐる諸解釈間の争いを例にして答え、ベンハビブ女史が「統一した聖なる時間に戻ることは言うまでもなく不可能だ」と断言して、文化的・宗教的多元性という時代の条件についてリベラリズムのパラドックスないし矛盾を指摘すると、テイラー氏も(さらにコントロールについての院生の質問に応えて)、「再─聖化は勿論解決ではあり得ない」と追認して、「科学的コントロールは継続せざるを得ないが故に、他の選択肢を考えるのが困難である」というジレンマを認められた。ここで興味深かったのは、サンデル氏が、現在の現代的生活の継続性を「手を触れ得ぬもの(untouchable)」とみる見方に疑問を呈し、特に「聖なるもの(sacred)」の位置について敢えて尋ねたことであった。テイラー氏の返答には、改めて特筆すべきことはなかったように記憶するが、この問答が特に筆者の関心を引いたのは、この麗しい師弟の間に、ごく微妙な、見解の重心の相違が垣間見られたように思われたからである。即ち、多元性の主張に重点を置くテイラー氏に比して、サンデル氏はむしろ聖性の必要性を感じているように思われ、それ故、テイラー氏が(一元論的近代に対して多元的近代を主張するという形で)近代の圏域にとどまっているのに対し、サンデル氏は少なくとも世俗的近代に対しては、より根本的な異和感を持っているように感じられたのである。サンデルの代表作『自由主義と正義の限界』第二版序文(一九九八年)では、初版に比して、共同体的側面よりも善(の正義に対する優先性)の重要性に重点が移動しているように感じていただけに、今回さらに「聖なるもの」という観念を氏が提起したのは、筆者にとって衝撃的であった。上の傾向が確認し得るだけでなく、さらに予想以上に進行していることになるからである。この点について、夕食時に本人に確認し、「地球的資本主義に対抗する原理にして聖性に着目するという(翌日の報告に現れた)観点が次著の主題である」と聞いた。
この点が他の参加者にも興味深かったのか、山脇氏の下の院生諸君も、現代生活の肯定(坂口緑)や『自己の源泉』にあった神学的主張の消滅(中野剛充)について質問し、テイラー氏は後者に対し、「近代観には対立があり、なくすことはできないが、それはより高い水準への道かもしれない」として、「神学的議論は自分にとって最も示唆的である」と答えられた。この後、経済のグローバル化や文明間対話について質問がなされ、ド・バリ氏は「儒教は基本的には人間を対象として扱っているが、天理は地球をも含んでおり、道家のように自然が強調されてはいないものの、文明論的・地球的アプローチにも開かれている」とし、ベンハビブ女史は「新自由主義は地球的資本主義の正統化に過ぎないのに対し、どのようにして連帯を確保するかが問題である」とされた。ムアヘッド氏が「多元主義が十分に説明されていない」として制度について問われた(※)のに対し、テイラー氏は「制度だけでは十分でなく、制度と共に(軽視されている)価値への着目が必要である」(※)と答えられた。さらに、メータ氏やモルガン氏の脱─埋め込みについての問いについては、「カントの場合のように有意義(ポジティヴ)な場合もあるが、十八世紀以来の問題の深刻化が示すように否定的(ネガティヴ)な結果をももたらす」(※)と返答され、金泰昌氏が「(ジェネラティヴィティ・クライシスが示すように)人生における聖性(生への畏敬)の感覚が必要である」と述べて議論を締めくくられたのである。
最後に、この日の晩餐会において、テイラー氏と筆者とのやりとりが注目を集め、後で尋ねられることが多かったので、記しておこう。大沼氏の発言後、テイラー氏と(カント主義的な)サンジョヴァンニ助手との長い問答に皆が注目し、金泰昌氏が私に水を向けて下さったので、筆者は次のように尋ねた。「実は、あなたの今日の報告には、それほど満足できませんでした(一同爆笑)。というのは、あなたとサンデル氏には、世界の他のいかなる政治哲学者以上に期待して来たからです。ケンブリッジで私達は自己と将来世代との関係について議論し、私は、西洋の主流派理論はその原子論的構成故に将来世代のための論理を積極的に提示できない旨述べました。それに対し、全体論的側面を持つ共同体主義ならば、そのような論理を示し得るかもしれないと期待していたのですが、今日のあなたの報告は、問題の根源の指摘にとどまっていました。もっと積極的に、あなたの膨大な仕事に基づいて将来世代の論理を提示することはできないでしょうか?」これに対し、氏は「できる。」と答えて、三つの論法を挙げられた。第一は、人間は自分自身についても未来を考えて行動するのだから、将来世代についても同様というものであり、第二は、人間は子供など家族のことを考えて行動するのだから将来世代についても同様にできるというものであり、第三は、(宇宙全体に対する)執事職(stewardship)という観念を適用することである。この内、第三の論法が以下の議論の対象となり、筆者が「執事職の観念は他の文化にも適用しうると思いますか?」と聞いたのに対し、「氏は確実には言えないが、おそらく存在するのではないか」と答えたので、金泰昌氏がド・バリ氏に対し中国について聞いたところ、ド・バリ氏は「天命」の観念を挙げられた。筆者が「天命は天の観念と密接不可分に結びついているから、執事職とは若干異なるのではないか」と聞いたところ、アメリカ側は「執事職も神の観念と結びついている」ということだったが、金泰昌氏はド・バリ氏の答えに批判的であった。テイラー氏の挙げた三論法は、いずれも将来世代ないしエコロジーをめぐる文献に時折登場するものであり、必ずしも独創的とは言えないが、一応、共同体主義の側からの(将来世代の問題に対する)積極的な議論として記録しておく価値があろう。
4、文際的アプローチと学際的公共哲学──共感と称賛
二日目の午前中から、会場はハーヴァード・ファカルティ・クラヴに移った。まず、大沼保昭氏が報告を行い、国際公法という概念にも現れているように、「公(public)はしばしば国家と関連させて用いられており、混乱している」という問題点を指摘されて、(西洋中心主義的発想を排して、国家中心主義的アプローチを乗り越える)文際的アプローチ(inter-civilisational approach)を提唱された。これに対して、サンデル氏はすぐ「ここにいる大部分の人々は共感するだろう」とした上で、「その先の問題に議論を進めよう」と言われ、「アジアには国家と社会の中に公共空間がないという昨日の(金泰昌氏の)議論との関連」や「文際的アプローチにおいて生かされる、アジア文化の中の資源」について質問された。これに対し、大沼氏は「東洋/西洋」という二分法の限界を指摘しつつ、「アジアにも有意義な公観念は存在する」という立場から相互信頼などを挙げて答えられた。アジアや西洋における公と国家との関連について、金泰昌氏と大沼氏との間で論議が交わされ、テイラー氏が西洋の公概念について、(ローマ以来の)国家と関連する用法と公開という用法との存在(違い)を述べられたので、筆者は、「各地域にそれぞれ(国家中心的等)複数の用法が存在し、共通性も存在するが、比重には相違が存在するので、(垂直的・水平的・超越的などの)各用法を分解して分析し、その地域に必要な公概念(例えば、垂直的公概念の強い日本にとっては水平的な西洋的公概念)を考えるこが有益である」とし、大方の賛同を得たように見えた。
この後、金鳳珍氏が「近代の呪縛」について指摘し、テイラー氏は西洋的政治的伝統の狭さや西洋内部での多様性に言及され、ド・バリ氏は、日本における公観念が日・中・韓からの伝統の混成体であることを詳細に説明した上で、「日・韓にも寺子屋や私塾などの公共空間が存在した」とし、中国の(天に支えられた)公の観念の意義に言及して、法的な西洋的人権概念の限界を指摘された。これらが総じてアジアにおける公共性の存在や西洋的公共性論の限界を指摘していたのに対し、金泰昌氏は日本における研究会の経緯を説明して理解を求められた。ただ、おそらく問題は次のところに存在しよう。筆者も当日擁護したように、(日本における)国家と個人の間の公共空間の必要性という(金泰昌氏の)主張自体は現実的には妥当であるが、この観念自体はハーバーマスなどの西洋的公共性論ないし市民社会論と大差なく、西洋側にとって思想的には新鮮さがない。文際的アプローチが公共性論に新しい理論的貢献をなすためには、アジアを始めとする非西洋文明の公共性観から(従来の西洋的公共性論には存在しない)新しい要素を具体的に提示する必要がある。サンデル氏の冒頭の質問はこの点を鋭く問うものであり、大沼氏自身が最後に発言されたように、この点において議論をさらに彫琢する必要があるのである。とは言え、(院生達の質問に対して氏が答えられたような)非西洋的な知的遺産から(経済的権利に重心を置きがちなアメリカの人権概念とは異なる)人権論への寄与を引き出すという姿勢は、公共性論においても示唆に富むと思われた。
続いて、山脇直司氏の報告が行われた。氏の報告は、学際的・公共哲学の構図を大きく描き出すもので、従来の氏の報告と共通性が高いので内容紹介は割愛するが、特筆に値するのはアメリカ側の反応である。まず、サンデル氏が「とても素晴らしい(very good)。力強い像だ(powerful picture)。」と感想を述べてから、議論が始まり、モルガン氏が超国家的公共哲学にとっての共通言語を問うたのに対し、山脇氏は英語としつつも、「英米文化をただ受け容れるわけではない」と留保を付し、それに応えてド・バリ氏が儒学などアジアの文献を英語に翻訳する意義を述べられた。再度、サンデル氏は、山脇報告について、「非常に印象的だ(very impressed)」「非常に興味深い(very interesting)」と賛辞を連発した上で、今回山脇氏が新しく付加された「(東西の)哲学的思想の比較研究」の部分を「とても強力な発想」とされて、特に「昨日ド・バリ氏の報告を聞きながら自分もスピノザの汎神論的な思想との類似性を連想していたので、山脇氏がスピノザに言及されたのを聞いて驚いた」と述べられた。昼食後、この議論が再開され、テイラー氏は、スピノザの後、総体性・統合性の方向と対話的な方向とに分岐したことを指摘された。金泰昌氏がデカルト的自己からバフチンらの対話的自己へと変る可能性について言及した(※)のに対し、テイラー氏はピアジェの研究を援用して「必ずしもデカルト的自己を必要としない」とし(※)、金氏はエリクソンの発展論的自己観について述べられた。さらに、サンデル氏が「この場ではとても大きな合意が存在しているので、今後について具体的な比較研究の提案を聞きたい」と尋ねられたので、筆者は「自由主義─共同体主義の対立を原子論─全体論という観点から捉えれば、このような対立は様々な地域・時代に見ることができる。そして、例えばアジアの哲学においてはむしろ後者の方が優勢だったので、考察の範囲を以上のように世界大に広げれば主流/傍流の描像が入れ代わるであろう」と述べ、ド・バリ氏は、儒教の中に自由の伝統を見出した自らの研究(『中国における自由の伝統』)の方法論について説明された。最後に、自由主義における多元主義的な可能性に関して院生が質問したのに対し、テイラー氏は「自由主義は、原子論で権利基底的な特殊な思想に現在は占拠されてしまっているが、実際にはJ.S.ミルやトクヴィルやフンボルトなどの多様な種類が存在しうる」と答えられ、「(フンボルトについて氏が用いていた)全体論的個人主義(holist individualism) を支持するか?」という筆者の問いに対し、「簡単に言えば、イエス」と答えられた。
総じて、山脇報告に対するハーヴァード側の反応は絶賛と言ってもよいほどのものであり、サンデル氏があまり称賛を繰り返すので隣りにいたテイラー氏に「あなたも同意見か?」と個人的に尋ねたところ、「全く同感だ」ということであった。山脇氏の報告内容自体は、他の国際セミナーにおけるそれと大きく変わるものではない。にもかかわらず、他の地では見られなかったような好反応が得られたのは、サンデル・テイラー両氏はじめ今回の米(加)側参加者と氏との問題意識に共通性が存在するからであろう。率直に言って、従来の(時には懐疑的な場合すらある)反応に少し物足りなさを感じていた筆者にとって、今回の好評は、漸く国際的に正当な反応が現れたように感じられ、内心快哉を叫びたい気持ちであった。勿論、哲学的な立場の相違により、今回のような反応が現れないことも今後あるに違いない。しかし、問題意識が合致すれば、世界的な政治哲学者といえども、素直に賛辞を呈するような価値が氏の描く構想に存することは、我が国の学会の名誉として記憶されて然るべきであろう。その場に居合わせた一人として、特に証言しておきたい次第である。
5、共同体主義と地球的公共哲学──聖性と公共性の再結合
最後に行われたサンデル氏の報告は、今回の会議を組織された中心者として、これまでの論点を踏まえて行われ、共同体主義の代表者らしい、力のこもったものであった。まず第一に、自己について、氏は(1)ある原則に代替する一つの原則という意味においては、共同体主義というラベルを拒否し(たテイラー氏と同意見であり)、(2)地域の価値における多数派主義(majoritarianism)という(文化的相対主義を帰結するような)意味においても自分は共同体主義者ではなく、(3)「埋められない、負荷なき自己(unembedded, unemcumbered self) という(英米思想における)リベラルな思想に対する批判」という意味において始めて、自分は共同体主義者ということができると述べられた。自己は共同の紐の中に埋め込まれているが、ただ性・文化・歴史などによってその紐が多元的であり、その間で衝突が生じるという点においては、限定を付す必要が存在するという。
第二に、おそらくは筆者の前日の質問に応えて、「共同体が世界的・普遍的であり得るか」という問題について見解を述べられた。氏は、「共同体を頂点として、ハイエラーキをなす同心円的な円状の諸共同体」という描像に対しては、リベラリズムに近いとして否定する。モンテスキューを援用しながら、「ある一つの普遍主義的原理が特権的な地位にあるとする考え方は、多様な共同体間の衝突・対立を見逃がしており、誤っている」というのである。逆に言えば、「このような描像でなければ、(共同体主義の地球化という)大きく改訂された共同体主義の考え方に同意できる」と言明された。
第三に、現代の世界像に関して、それに代替するものとして、「主体中心的でない像をいかに提起することができるか」を問題にされ、前日にテイラーが、「触れ得ぬもの」とした「聖なるもの」が、公共的倫理の重要な特徴となるのではないか、と示唆された。
そして第四に、「地球的時代における公共哲学」について、まず、「地球的公共哲学(global public philosophy)が単数形である点に若干の留保を付したい」として、global public philosophies(複数形)というように、「多様な伝統に立脚した複数の地球的公共哲学」という考え方を述べられた。そしてさらに、公共空間再建に対する経済的障害として地球的資本主義を挙げ、その圧力があらゆる種類の公共的機構を侵食していることを指摘し、それに対抗するものとして、(現在は政教分離によって分断され緊張関係にある)公的なるもの(public, civic) と聖なるものとの(何らかの形での)再結合を示唆された。
つまり、この報告は、第一点において自らと共同体主義との関係(いかなる意味において自らが共同体主義者であるか)を明らかにし、第二点においては(筆者の提起した)地球的共同体主義の構想に正面から答え、第三・四点においては世界資本主義に対抗して公共性と聖性の再連携の必要性を主張したものであり、本会議の論点に正面から取り組んでおり、まだ公刊されたことのない見解を開陳している点でも、その価値は改めて述べるまでもない。討論では、まず金泰昌氏が (1)アメリカと日本とは状況が異なり、日本ではそもそもリベラリズムが確立していないから、リベラリズム批判は、わら人形を撃つようなものであり、 (2)日本では「共同体」という概念は歴史的に悪い経験と結びついているから別の言葉が必要であり、(3)「聖なるもの」は、しばしば(タイなどの)伝統的専制体制が体制正統化のために用いることを指摘され、(4)地球的公共哲学の単数形・複数形の件については、単数の文法的区別のない日本語の事情を説明しつつ、サンデル氏の示唆に賛意を示された。サンデル氏が以上の主張に理解を示された後、大沼氏との間では美徳の観念の必要性について合意を見、大沼氏は「アメリカ(的なもの)は尊重すべきだが日本にはあまりにも無批判に輸入され過ぎる」と指摘され、サンデル氏は「ロールズやフーコーの思想が日本で蔓延しているという(山脇氏の)説明を聞く前は、自分の思想を輸出しようという意図などなかった」と軽妙に応じられた。また、ド・バリ氏やテイラー氏は、西洋の個人主義にキリスト教的背景があったことに言及された(※)。
筆者は、ここで大旨次のように述べた。戦後日本の社会科学も、共同体の観念の問題点や自由の伝統の弱体性を論じるところから出発しており、金氏の指摘は今日でもなお妥当であるが、同時に今日の日本では(アメリカの大衆文化の影響もあって)少年等各種の犯罪や学級崩壊・幼児虐待などに現れているような道徳的退廃も進んでおり、それ故に、美徳倫理学などの共同体主義的思想も必要である。日本の状況に合わせて言葉を変える必要があるというのならば、私は「公共体」という用語を提起し、また(共同体という概念は物化・制度化したそれに制約され易いので)人間関係のエッセンスに焦点を合わせて「共同性(主義)」という言葉を用いている。さらに、過去の伝統に拘束される保守性を避けるために、時間軸を導入して、(現在はまだ確立していないが故に想像力によってのみ構想し得る)将来の人類的・地球的共同体の観念を提起している。(サンデル教授が斥けた、普遍主義的・世界公民的共同体の優越という論点については、東洋哲学においての「一即多、多即一」という弁証法(対理法)的論理があるように、私達は地球的公共体の構成員である(国民的等)下位の公共体の構成員でもあるのだから、現象的には、(例えば日本のような)下位公共体の要請によって地球資本主義の論理に抵抗する場合もあり、サンデル教授の見解と必ずしも矛盾しない。最後に、サンデル教授の提起された「公共性と聖性の再結合」という発想は、非常に新鮮かつ啓発的で、ルソーやベラーの公共民宗教(civil religion)の観念を想起した。ただ、日本には共和主義(公共主義)の伝統が少ないし、国家神道のような悪夢もまだ記憶に新しい。そこで、サンデル教授からの示唆を何か頂けないだろうか、と。
その場では「それはあなたがなすべき仕事ではないですか?」と軽くいなされてしまったので、後で個人的に尋ねたところ、「日本の文脈に応じて共同体主義を考えることには大いに賛成だし、共同性主義という発想にも共感を持てる。今後は(地球的共同体主義等のような)そのような方向が重要だろうと自分も思う」ということだった。このように、幸い好反応を得ることができたものの、率直に述べれば、私自身は政治哲学において共同体主義を最大の関心事の一つにしているので、正面から右記のような(共同体主義の批判的発展を提唱する)報告を行って公的に反応を伺い、本格的な議論を行いたかったという気持ちは、拭い難いところである。
この後の討論で特に重要だったのは、次の応酬であろう。サンデル氏が「より実質的な文明間対話の重要性」に言及したのに対し、大沼氏が「哲学者の要求は過大であり、既に国際的に人権については合意が存在しており、それ以上の厚い(thick)合意は不可能である」とされ、テイラー・サンデル両氏とも、人権については大沼氏に同意しつつも「新しい規範を作り出すためではなく、(イスラムに関する場合のような誤解をなくして)既存の合意を支える厚い理解を形成するために文明間対話は必要であり、それによって(ガンジーとキリスト教の関係のように)お互いから学び合うことができる」(テイラー)「環境問題が内的な道徳的・宗教的問題と関連しているように、ある種の目的のためには(人権への合意以上に)より深い関わり方が必要な場合がある」(サンデル)といったような留保も加えられた。
テイラー、サンデル、ド・バリ三氏の参加はこの日が最後になるので、この後発展協議が簡単に行われた。特に印象に残ったのは、次のようなものである。林氏の「哲学は将来世代を救えるか?」という質問に対し、テイラー氏は「哲学は諸科学の多様な領域に関連しているので、さほど大それたものではないにしても、哲学は解決に一定の役割を果たす」と明言された。また矢崎氏が公共性を学ぶことと教育することとの相違について質問されたのに対し、テイラー氏は自らの政治的活動に言及しながら「学ぶことにおいては実践(practice)が本質的に重要であり、常に学び続けることが必要」とされ(※)、サンデル氏は思想と活動とのつながりに言及して、「市民として、また同時に哲学者として、世界に関わっていくことが重要」と答えられた(※)。いずれも、特に目新しい考え方ではないものの、本質を問う日本側の質問に対し、即座に的確な返答をするところに、(観念上の遊戯ではない)実践的政治哲学の営為に真剣に携わっている両氏の真姿を垣間見た気がした。
金鳳珍氏は、前のセッションで、テイラー・サンデル両氏に「儒教から学んだところがあるか?」と質問され、二人は「もう学んだとは言えないが、これから学びたい」というように答えていたが、これは一種の社交辞令と受け取れないでもなかった。それで、最後に会議全体の感想を問われた際に、サンデル氏が次回への提案の一つとして、(今回のように儒学の話を聞くだけではなく)儒学のテキストを具体的に読むことを挙げられたのを聞いて、私は些か驚いた。先の答えが、単なる社交辞令ではないことが明瞭になったわけであり、ド・バリ氏の報告や私達の議論に触発されて、サンデル氏は東洋的公共哲学として儒学を知る必要性を本当に感じたものと推察される。今日の西洋の代表的公共的知識人の一人にこのような関心を呼び起こしたこと自体が、今回の会議の成果の一つと言えようが、よく考えてみると、このような真摯で謙虚な態度は共同体主義の本質に関わることであり、私達にとってもその意義は大きい。テイラー氏が述べていたように、西洋中心主義の傲慢に陥らずに異文化を尊重しそこから学ぶことは、共同体主義の中心をなす発想だからであり、サンデル氏の提案は、それを(東洋文明の軸の一つである)儒学に誠実に適用したものとみなし得るからである。同時に、お互いから学びあうという対話精神が本研究会の基本原則であることを思うと、偉大な西洋の公共的知識人からこのような姿勢が示されたことの意義は、いくら強調しても強調し過ぎることはないであろう。
特に、筆者個人にとっては、このことの感慨は極めて大きなものがある。なぜならば、第一回ケンブリッジ・フォーラムの準備過程において、ある長老名誉教授の(西洋的・世俗的合理主義に基づく)疑念にさんざん悩まされたからである。西洋的合理主義を学びに来る姿勢に慣れている人にとっては、東洋的哲学の意義を主張して西洋側と対等な立場で議論しようとする姿勢が、そもそも奇異であったろうし、それに加えて資料に仏教など東洋思想への言及があるのを見つけて、「怪しげな宣教的集団か」という疑いをかけられたのである。それを思えば、(聖性と公共性との再結合を語り、儒学からも学ぼうとする)サンデル氏の姿勢は、天と地ほどの違いがある。勿論、その後二回の会議によってケンブリッジ側の疑いは晴れ、信頼関係が醸成されてきているが、ケンブリッジ公共哲学フォーラムの所感で述べたように、将来世代や公共哲学などについての温度差はなお残っている。それで、さすが共同体主義者らしいサンデル氏らの言動に、素晴らしい対話相手の出現を観た気がしたのである。そこで私は、最後に次のように述べた。
「昨日夜に私は不満足等と冗談を(テイラー氏に)言ったが、実は今日は非常に満足している。これまで私達は世界の数カ所で議論を重ね、例えばケンブリッジでは知的に非常に高い水準の議論を行うことができたが、今回はそれに加えて、公共性を実現しようという志や積極的熱意を共有することができた点においてまことに素晴らしかった。既に共同体主義の潮流はアメリカから始まっているわけであるが、日本から始まっている公共哲学の運動がこれと連携して世界大の知的運動になっていくことを期待したい。そこで、特にあまりにも素朴な質問で恐縮だが、テイラー・サンデル両氏には、公共哲学の核心をごく簡単に話して頂ければ有難い。」
返事を聞くことなくこの日の議論は終了してしまったが、サンデル氏は個人的に大いに共感を示して下さり、あたかも同志の如き志の交感が確かに生じた気がしたのである。
6、テイラーとサンデルの人物素描──偉人と聖人
三日目の午前中は、公式の会議ではなく、わざわざ日本から自費で訪れた院生達がテイラー・サンデル両氏に質問する機会が、主催者側の好意で設けられた。筆者は通訳の必要も予期して司会役を務めたが、実際は院生諸君の多くは達意の英語で自ら質疑を行うことができ、通訳する必要は全くないほどであった。サンデル氏が驚かれていたように、質問の水準も極めて高く、応答を聞いていて筆者自身にも大いに参考になり、その場に居合わせることができて感謝している。
細かな内容は多岐にわたるのでここでは割愛するとして、ここでは特に印象に残っている点を記しておこう。そもそも、会場がバイキング形式のレストラン兼ラウンジ風の豪華なところで、天窓から柔らかな光がふり注ぎ、なんとも優雅で美しかった。そのせいもあって、その場全体が流麗な調和に包まれ、両氏には一種の神々しい光が射して私達は神聖な祝福を受けているような雰囲気すら感じられた。会議全体を通じての両氏についての印象をここで記しておくと、まずテイラー氏は背が高くて体格も大柄で、(左右両端が上にはね上がっている)眉毛が印象的であった。カナディアンらしく陽気で明るく気さくであり、大きな身ぶりを交えて勢いよく堂々と話す。象牙の塔にこもって思索にこもる哲学者という雰囲気ではなく、現実の政治家としても活躍しうる迫力が伺えた。にこやかながら雄弁に話すうちに調子が早くなり、「後はもう言う必要がなく、当然でしょう」という雰囲気で手を上げ話を止めることがあるので、筆者には結論が把握できないところもあった。総じて、いかにも大人物という威風堂々たる雰囲気を漂わせており、著作から期待していた通り、博学で見識に溢れる素晴らしい人物であった。
ただ、著作から既に氏の考えについて一定の知識を持ちその実績に深い敬意を抱いていたためか、今回の会議及び質疑から、それ以上の新しい見解を聞き、感銘を受けることには必ずしもならなかった、と言うことができるかもしれない。例えば、院生達の質問にも、(テイラーの著作の中にある二つの要素をとり出して)一見緊張関係があるその二つの関係について問うたものが幾つか存在したが、氏の返答はそれぞれの必要性を別々に説明して、その関係については、文脈ないし次元等の相違という以上には答えないものが多かったように思えた。筆者自身も初日に個人的に、テイラー氏が共感を持っている共和主義と多文化主義との緊張関係について尋ねたが、「それは具体的文脈によって考える」という答えであった。あるいは、このような答え方で十分なのかもしれない。しかし、筆者はこれらの緊張関係に際して、その優先順位や緊張解決の方針などについて何か伺うことができるのではないかと期待していたので、滔々とした弁舌が終わって肩すかしをくったような気がしたことも、無くはなかった。そもそも、テイラーは必ずしも体系的な論理を展開する思想家ではなく、鋭い個別論文によって論点を一つ一つ提示し、その積み重ねによって今日のような影響力を持つようになった面が大きい。それ故、「状況の中に置かれている自己」という彼の自己観は、「状況の中で考える思想」ないし「文脈的思考(contextual thinking)とでも言うことができるようなものにつながり、先述のような軽い失望はその特質の裏面に由来するのかもしれない。
一方、サンデル氏については、(著作から受けていた)事前の想像以上に深い感銘を受けた。勿論、氏についても、『自由主義リベラリズムと正義の限界』におけるロールズ批判に見られるような、犀利な哲学的分析力には事前から大きな感銘を受けており、実際、討論においても(例えば大沼報告の際のように)しばしば鋭利な質問を繰り出していた。しかし、それ以上に印象的だったのは、その世界的名声から、もっと大家然とした様子を想像していたのに対し、──テイラーから指導を受けたという年齢差もあって──驚くほど若々しく、素直で、明るく謙虚だったことである。ことに、その眼は印象的で透んだ輝きを放っており、柔和な笑みは周囲に光をもたらしていた。聖性の必要性を主張しておられたように、その根底には宗教(ユダヤ教)的な関心があるように思われた。──失礼ながら、氏は既にある程度頭が禿げておられるが、氏の放つ光は、そのためだけではなく、一種の精神的なオーラのように感じられた。テイラーを大人物=偉人とすれば、サンデルはいわば聖人のような雰囲気すら漂わせており、儒学への関心も似つかわしく思えたのである。
もっとも、単なる宗教者とは異なり、氏が政治哲学者としての旺盛な政治的・公共的関心を持っていることは言うまでもない。院生との問答では特にリラックスして素顔が現れたせいか、この点について一種の道徳的情熱を込めて(結社による)共和主義的ないし公共民的人文主義的な理想を語っておられた。筆者にとって特に新鮮で感動的だったのは、中野君の質問に対して次のように答えた点であった。即ち、「共同体主義が既に政治に影響を与えていることには、良い点と悪い点とがある。良い点は、政治的発言において家族や共同体などへの言及が増え、政治に現実の効果を与えていることであり、悪い点は、非常に妥協して用いられているが故に現実の政策には十分に現れていない点である。いわゆる第三の道も、このような点で不十分であり、道徳性に言及することはあっても政策には反映していない。福祉国家の失敗以来、新自由主義の下で民営化のみ強調され、共通善に関わる公共的施設(図書館、交通機関など)が衰微していて、これは特に貧困者に痛手を与えている。だから、このような公共的施設(インフラ)を再建して、弱者を助けるべきなのである。」──ここには、共同体主義が時に陥る保守主義的色彩はみじんもなく、共和主義的熱意のみが美しく輝いていた。
この時間の最後に筆者にも質問の機会が与えられたので、要旨を紹介しておこう。筆者「アカデミックな質問になるが、日本の読者にとって今回の発言は大きなニュースになると思うので、確かめておきたいと思います。サンデル教授は『自由主義と正義の限界』第二版序文で、自分は共同体主義者と呼ばれたくない旨述べておられるのに、昨日は『AやBの意味では共同体主義者ではないが、Cという意味では共同体主義者である』と言われたので、少し驚きました。この点について、いかが伝えたらよいでしょうか。」サンデル「あのように本で述べたのは誤解を避けるためなので、この場の皆さんのように、共通善と関連する正しい意味で使われるならば、共同体主義という言葉を用いることに何ら異存はありません。」(テイラーも同感の首肯)筆者「同書のロールズ批判は才気あふれた哲学的分析であるのに対し、日本の学界においては『民主主義の不満』はアメリカの文脈に内在した反面、他の地域に通用する普遍的価値を失ったとする意見がありますが、いかがでしょう?」サンデル「アメリカ向けという印象が生じたのは、特定的に、文脈に応じて、具体的に論述しようと意図した結果ですが、確かにそのような問題点が生じたことは事実でしょう。」筆者「昨日終わりに述べた質問ですが、あなた自身の公共哲学の核心ないし本質について、日本の(読者向けに)一言で教えて下されば幸いです。」サンデル「それは、共通(common)や一緒に(together)ということでしょう。」テイラー「そしてさらに、(他のものに)還元することのできない共通善でしょう。」(※)── 残念ながら、正確な記録ではないが、この最後の瞬間に共同体主義の公共哲学の核心として共通(善)という古典的観念を耳にしたことは、(リベラリズムのヘゲモニーにしばしば悩まされる)私にとっては一種の魂の救いの如き感動であり、この一言を聞くだけでもハーヴァードに来た価値があったと思ったほどであった。なぜならば、これこそ共同性主義という観念の中核に他ならず、そこから友愛や連帯による政治的営為の必要性が導かれるからである。共和(公共)主義者としては、フィナーレとして天からの祝福が一段とふり注ぎ、白き鳩が舞い上がったかのような感に打たれたのであった。
7、地球的公共哲学生成への試金石──合意と多様性の共存
最終日午後の発展協議は、ハーヴァード側からはメータ・モルガン両氏及びサンジョヴァンニ氏が参加されたが、既に三人の主役が帰った上、議論も停滞・空転ないし混乱気味だったと言わなければならない。特に、メータ・モルガン・大沼氏は、「主題がもっと具体的・特定的でないと議論が難しい」等と議事進行に要望された。そこで司会の金泰昌氏は、初日に報告された「図解」の参照を求められ、ハーヴァード側は「既に入念に目を通した」と答えたので、筆者も反応を尋ねたが、モルガン氏らは「私は愚かなのだろうか?右翼やファシストでなければ、誰がこれに反対できようか?」と反問された。筆者は、この図解形成過程にあって、将来世代の問題をはじめとしていかに多くの激烈な議論がなされてきたかについて見聞しているので、その旨説明しようと試みた。しかし、(結果として形成された図解をいきなり見せられた)ハーヴァード側にとっては、どうも総花的な美辞麗句に見え、自分達が学識者として具体的に論じる端緒を見出せなかったように思われる。
かくして、このセッションは、さして実質的な議論に入れずに終了した。ただ、空転気味だったこの議論からも、幾つか有益な示唆を引き出せるので、記しておこう。そもそも、日本側参加者の多くにとっても、図解を見たのは初めてだったので、今後の日本の議論にとっても、ハーヴァード側の反応は参考となる。メータ氏は「まず第一に合意の部分を明確にした上で、第二に一部を対話の主題としてとりあげ議論する」という方法を提起されたが、これは傾聴すべきものを含んでいると思う。筆者としては、右にいう「合意」の基盤を形成したいと思ったので、先述したような質問を試みたのである。残念ながら明確な合意には至らなかったが、総花的ではあれ、ハーヴァード側も図解のには大きな異論がないように見えたことは、必ずしも無意味なことではないであろう。対話を重ね、深めていくことにより、明確な合意が「声明」のような形で成立する可能性が存在するからである。
他方で、このような大枠の合意と並行して、各論ないし合意を支える理論的基礎付けについて議論が深められるべきであろう(メータ氏のいう第二段階)。ここで注意すべきことは、次の点であろう。おそらくこの部分にあっては、議論の深化にもかかわらず、なお多様な見解が残りうるが、それを強引に排除すべきではない。一方でプロジェクトの大目的について一定の合意が存在すれば、その多様性は──一見混乱要因には見えても──むしろ議論を活性化し、最終的にはプロジェクトの前進を可能にするであろう。それ故、一見解で無理にプロジェクトをまとめようとすることなく、多様な見解の存在を認め、かつその表現を尊重しながら、プロジェクト全体への協力が可能になるような運営方針を、要望したい。例えば、文献に共通の合意された目的(=大義)に向けての多様な見解が存在することは、プロジェクトのメンバー以外の人々や後世の人々=将来世代にも議論を開き、活性化することにつながるであろう。
この点は重要なので、具体的に述べておこう。メータ氏は、「金泰昌氏の図解における地球的公共哲学、山脇氏の超一国民国家的(トランスナショナル)公共哲学、小林氏のいう(現在の共同体主義とは少し異なり、修正された)地球的共同体主義というように、具体的な形は違っても、日本側には地球的というような大きな枠組に常に帰る傾向がある」と指摘された。これは、実に明察というべきで、地球的公共哲学形成という志において、殆どの日本側参加者には合意が存在しているのである。しかしながら、これは、例えば図解の細部やその理論的説明に至るまで全員が一致していることを意味するわけではないし、またそのような状態を作為的に目指すべきでもないであろう。この第二段階においては、多様な見解が存在することが、全体として日本側の議論を質量ともに向上させ、国際的な評価を高めるのである。
これは、今回の会議の主題や評価とも大きく関連する。前述したように、金泰昌氏は共同体主義の評価や特に日本における妥当性に慎重ないし批判的であるのに対し、筆者はむしろ肯定的・積極的である。筆者のこの見解は、テイラー・サンデル両氏との現実の交流によってさらに強化されたので、この会議を通じて筆者は、今後日本にも、アメリカの共同体主義的公共哲学の成果を踏まえて、(戦前のような国家主義に陥る危険を警戒するという意味での)日本の文脈に即した「日本(型)共同体主義(的公共哲学)」と(その観点からの)地球的公共哲学が必要であるという確信を強め、その樹立に私なりの形で貢献したいと決意した。筆者は将来世代哲学や地球的公共哲学という「大枠=大義」には心より賛成し、これまでそのために全力で協力してきたが、それを基礎づける私なりの思想に関しては、いかなる批判や圧力に対しても、学問的良心に背いて屈することはできない。従って、もしも本プロジェクトをリベラルないしリバタリアン的な公共哲学に強引に収斂させようとするならば、筆者は自発的ないしは強制的に袂を分かつことにならざるを得ないであろう。
この論点は、決して政治哲学上の些細な議論にとどまるものではない。リベラリズムは正に西洋的近代を代表する主流派思想であり、金泰昌氏が(福沢諭吉や「文明開化」に言及され)最近とみに近代的思惟の重要性を強調し始めておられるのに対し、筆者はその重要性を確認しつつも、なお近代の限界を超えて、環境や倫理的退廃などの今日の新しい問題に立ち向かう必要性を確信しているからである。丸山眞男をはじめ戦後啓蒙の立場から出発した筆者にとって、自立・他者性・法治等近代的思惟の重要性を強調することには何の異存もなく、場合によっては(新国粋主義などに対しては)自らその役を務めたいほどである。にもかかわらず、それだけでは二十一世紀の課題には応えられないと思うが故に、近代批判の契機を共有する共同体主義者達と連帯し、新時代の公共哲学形成に寄与したいと考えるのである。
思うに、最後の発展協議における混乱は、図解が初めて提示されるという「画期的」な出来事があったが故の、意義ある波乱であり、地球的公共哲学の生成途上における試練と捉えるべきであろう。多様性・多元性はリベラリズムの旗印であると共に、テイラーら共同体主義者も等しく尊重するところである。大きな合意の下における意見の多様性が存在してこそ、世界に誇るに足る地球的諸公共哲学(複数形)が真に生成し得るであろう。従って、そのような状態が実現し得るかどうかという点は、正に本共同研究会の運命を占う試金石の役割を果たすことになろう。そもそも、多様な見解の共存は、対話の場の特徴であり、本共同研究会の対話精神の顕現に他ならないであろう。対話的生成過程における強制的一元化は、生ける対話精神を殺し、生成過程を流産させてしまいかねない。会議後、金泰昌氏は、意見の相違を尊重するという方向性を示唆された。これは筆者も大いに望むところであり、大賛成である。これまで(主催者側以外では)もっとも真剣に本共同研究会にコミットしてきた者の一人として、このような形で合意と多様性の共存が真に実現し、今回の波乱を乗り越えて本共同研究が今後も発展し続けてゆくことを祈って止まない。
※参加者の発言は、いずれも要約である。記憶ないしメモに頼って記したので、いずれも完全に正確ではありえないが、特に不正確な可能性がある箇所には(※)を付した。
(『公共哲学共同研究ニュース』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、2000年4月1日、第9号、2-12頁、20001年2月改訂)
なおこの会議についての紹介としては、上記のニュース・レターの他に、山脇直司「ハーバード・ファーラム『地球時代の公共哲学』を終えて』(『UP』 338号、2000年12月、6-11頁)がありますので、御興味のある方は御参照下さい。また、第6節で訳した、院生との質疑応答については、『千葉大学法学紀要』第16巻第1号(2001年)に、その重要な部分を掲載する予定です。
土曜日, 10月 6th, 2007
小林正弥(千葉大学)
1. 総括的印象──信頼の成果
今回のフォーラムは、ケンブリッジ・フォーラムとしては2回目であり、既に双方に相当の信頼感が醸成されていたため、(韓国や)特に中国の場合に比して、(2日目に朝のタクシーが遅れたというアクシデントを除けば)トラブルや緊張も殆どなく、終始、友好裡に進められた。第一回ケンブリッジ・フォーラムにおいて、年長の名誉教授(P.ラスレット氏)達との(舞台裏や当日における)激しい確執に苦労したことを想起すると、(1回目にも協力的だった)J.ダン教授自らがイギリス側の中心となって組織されただけあって、今回のフォーラムは全く別の地であるかのように平穏であり、ケンブリッジには特別な思い入れがある筆者にとっては、感慨深いものがあった。初めの不信感や衝突を乗り越えて対話を継続する価値を、改めて実感した次第である。
また、具体的な場所としても、前回はケンブリッジ市内のガーデン・ハウスホテルで行われたのに対し、今回は、(フォルテ・ポストハウスホテルで行われた)初日を除き、残る3日間は(ダン教授やR・ハリソン博士が所属する)キングス・カレッジの最も格式の高いセミナー・ルームの一つ(ソルト・マーシャム・ルーム*)で行われた。ケンブリッジは、古い伝統を誇るだけに、大学の部屋も古く、日本の感覚からすると(雰囲気はあるものの)頂けない所が多いのだが、今回の部屋は、私が見た中で最も素晴しいものの一つであり、充実した内容を象徴するような壮重な雰囲気に包まれ、ケンブリッジの正に中心の一室であった。さらに、前回に比して、2─4日継続して出席した参加者が多く、ダン教授をはじめとするケンブリッジ側の厚遇と熱意とが感じられた。
そして内容的にも、今回のフォーラムは質的に前回を遥かに凌駕していたように思われ、国際フォーラムとして最高の水準にあったことを筆者は信じて疑わない。韓国や中国の場合は、歴史問題や国情の相違が議論の背景ないし焦点になり、その観点から有意義な対話が行われたのに対し、ケンブリッジにおいては、そのような政治的文脈とは離れて純粋に学術的な討論を行うことができた。しかも、もとよりケンブリッジ側参加者は、前回から、既に世界的名声を博している人々から成っていた上に、(「自己と将来世代」という前回の主題が比較的新しいものであったのに対して)今回の主題はイギリス側にとっても、当然、以前から意識されてきた重要なものであるだけに、イギリス側の報告・討論の水準も、さすがにケンブリッジの名にふさわしいものであった。従って、今回のケンブリッジ・フォーラムは、私達の日本における研究会の成果を世界において問うための、いわば最高の学術的舞台を提供してくれた、と言うことができよう。総じて、今回のフォーラムは、前回の成果の上に立脚し、それによって形成された──ダン教授と金泰昌氏(日本側は以下「氏」で統一)が共に強調される──「信頼」の勝利であったと思われる。
2. 日本の東西における公私観──拙論を中心にして
報告の順序を離れて、内容を概括的に整理してゆきたい。今回のフォーラムは、「公私についてのアジアと西洋の諸概念についての会議」と題されており、その主内容は日中欧印における公私観であった、と言うことができよう。
まず、初日には、金泰昌氏の提案に即して、筆者と金鳳珍氏とがそれぞれ──日本の中の東西(東京・京都)を代表する思想家として選び出された──丸山眞男と和辻哲郎の公私観について報告した。拙論「日本戦後啓蒙から新世紀の新啓蒙へ──丸山眞男の政治理論の公共哲学としての再定式化」は、間宮陽介氏の近年の丸山論(『丸山眞男──日本近代における公と私』筑摩書房)などを踏まえた上で、まず丸山眞男の仕事を前期(40年代後半から50年代初め)・中期(50年代後半から60年代後半)・後期(70年代から病没まで)と3つに分類し、それぞれの公私観の特徴を公私分離(自然から作為へ)・逆説的公私観(私の上の、私のための公)・文明論的視点(古層論)と整理した上で、ハーバーマスと対比して丸山の逆説的公共観の意義を(金泰昌氏の活私開公の観念につながるものとして)指摘した。さらに、溝口雄三・渡辺浩両氏の説を簡単に紹介しつつ、おほやけ(日本)・公(中国)・公共(西洋)という概念の習合(シンクレティズム)を克服して総合的混成体としてこの概念を用いることを主張し、丸山を超える方途として、自然的作為・生成的結成・ルソー的新公共主義という3概念を簡単に提示して、丸山ら戦後啓蒙の試みを新世紀において再定式化することによって、(戦後啓蒙の素志に反してタコツボ化してしまった)学界の現状を打破するという、学際的な新啓蒙への展望を述べた。
イギリス側参加者にも丸山についての知識はある程度存在していたが、それは主として西欧的・近代的知識人という前期の丸山像であり、筆者の紹介した中・後期の丸山の業績は新鮮だったようで好評だった。例えば、フォーラム後に会ったR・ゴイス博士も、丸山の古層論に一種の歴史的な系譜学としての関心を示し、(非西洋地域における)「近代政治についてのケンブリッジ・テキスト」(ケンブリッジ大学出版局)の一冊に丸山の巻を加えるよう働きかけることを示唆された程だった。日本では未だに前期丸山像に偏した紹介・擁護・批判が跡を絶たないので筆者は中・後期の意義を強調したのであるが、イギリス側のこのような受け止め方は私にとっても啓発的で、今日の思想状況における丸山の意義を新しく開示したように感じられた。また、丸山自身や福田歓一氏とも会ったことのあるJ・ダン教授は、大旨(以下同様)「自分は戦後における丸山の意義についてかねてから認識しているが、戦後から数十年経った今、若い世代からどのように受け止められているのか」と問いかけられ、「無関心な人が増えた一方で、丸山死後にポスト・モダン派が批判の格好の標的として利用している」と答えると、「ポスト・モダンの思想は論外ながら、丸山は日本的なものと取り組んだという点において極めて日本的な思想家だが、日本の文化的資源(Japanese cultural resources)を用いた試みは、その後現れていないのか」と尋ねられた。概して、日本における丸山論は、しばしば信奉者の護教論と(ポスト・モダン派の如き)言い掛かりのような非難とに分極化する傾向があり、(後者は論外ながら)丸山に親近感を持つ日本通の外国人達も、時に前者にも辟易としており、「丸山の議論を承継しつつ新しい展開を試みている人がいないのではないか」という質問を受けることが少なくない。ダン教授の質問も、丸山らの仕事に敬意を示しつつも、時代の変化に応じて新しい展開が行われることを自明視して、「日本の文化的資源」を活用する可能性に興味を示すものだった。(自然的作為や生成的結成などの観念による)丸山の洞察の再定式化という展望は、正にこのような方向を目指すものであり、当日は、「東洋や日本の文化的資源を用いる試みは、ややもすると国粋主義の罠に陥り易く、現に今日の日本ではそのような主張が再び現れている。そのような危険に陥らないで文化的資源を活かす試みは、数少なく、おそらく私達の試みは、そのような先駆的な試みと言えるだろう」と答えたのだった。さらに、中国専門家で日本にもしばしば訪れるマクダモット氏も、日本の学界がタコツボ化している状態を良く御存知で、西洋的観点から日本には総じて批判的であり、当日は(私の語った展望が)「制度的変化・社会的変化とどのように関連ないし影響するか」という点について質問された。21世紀の課題に属するこのような質問に明確に答えるのは容易ではなかったが、ともあれ知日派の西洋人の鋭敏な質問に接して、筆者としては改めて戦後啓蒙の再定式化という方向性の正しさを確認した次第である。
金鳳珍氏の「和辻哲郎の倫理学における公私」は、(自己・個人性と他者・社会性・共同性とからなる)弁証法的人間観や(多層的・ピラミッド的な)「世間」の公共性などの点について和辻の議論の意義を確認しつつも、結局その「全体性」の観念が日本という国家内部に極限されており戦時の滅私奉公につながるものであった点を、和辻の限界として指摘した。この報告は、鋭利な批判的分析となっており、筆者自身にとっても、(全体論的発想を支持するが故に、期せずして到達していた)和辻との共通点と(当然ながら残る)相違点を自覚する上で裨益するところが多かった。イギリス側との討論においては、ダン教授が「丸山は(西洋人にとって)理解が容易だが、(戦争の勝敗という文脈を離れて)何を和辻から日本人以外の人が学べるのか」と質問されたのが印象的だった。報告が単純な和辻礼賛に陥らずに(後半で)和辻批判を行っていたため、逆に(報告の前半で的確に述べられていた)和辻の思想の利点、例えば西洋批判・(空間性の強調による)ハイデッガーの乗り越えといった要素が十分に伝わらなかったのかもしれない。この点に些かの憾みは残るものの、逆に和辻について知識のある日本側内部での討論は活発で、国家主義的共同体主義と多文化的共同体主義という対比の文脈におけるボダンとモンテスキューに対する和辻の評価(山脇直司)や時間性も強調する丸山・東京学派と空間性を強調する和辻・京都学派との対比(金泰昌)などにつき、興味深い議論が交された。
3. 中印の公私──イギリス・オリエンタリズムとの論争
日本側の以上の2報告は、いずれも日本固有の公(おほやけ)観念に批判的だったので、この点ではイギリス側と論争は起こらなかった。これに対し、日英間で見解の相違が明確になってきたのは、2日目の後半に行われた中国の公私観についての討論からである。ケンブリッジ大学の東洋研究所(オリエンタル・スタディーズ)に所属する二人の報告は、大きくは似た方向性を有しており、中国において実際に公の観念が果たした機能に懐疑的で、主として官僚制内部の規律やその正統化の役割を果たしていたことを強調するものだった。
まず、マクマレン教授の「中世中国の公益・私益の理想──後の伝統へのその影響」は8世紀末から9世紀初めの唐時代(とその時代に発達した合理的官僚制)に焦点を合わせ、公(gong)の概念は主君ないし統治者の意味から始まって、「私(si)」に優越する(宇宙的)不偏性・公平性・開放性・均衡性などの規範的な意味を持つに至り、皇帝にも理想を示して公益や人々の福祉の観点から無制限の権力の行使を掣肘する思想的機能を持ったものの、実際の具体的文脈としては──古典が提示するようなユートピア的理想よりも──(ヴェーバーが官僚制の特徴とした)公平性を官僚制内部及び皇帝権力との関係について表わすものだった(が故に、近代になって中国には西洋的な意味におけるpublicな精神が欠如していると指摘されることになった)、とした。これに対し、仏教やヴェーバー理論との関係などが議論されたが、特に重要だったのは、ダン教授が日本の公観念との違いについて質問してからの応酬であろう。マクマレン教授は、日本の公観念が世襲的天皇制及び政府と結びついているのに対し中国の方が科挙制のように開放的であったとし、溝口説に言及した金泰昌氏の質問に対しては、日本では天が日本人と結びつくのに中国では(中国人といわずに)人一般と結びつくとして、日本に比して中国の公観念の持つ普遍性について述べて応答した。しかし、「中国の公観念が国を越えられるか」という金泰昌氏の質問に対し、「ユートピア的には可能だが、現実的ではない」と答えたように、マクマレン教授は、日中の相違点については(聞かれれば)ある程度認めるものの、そこに力点はなく、総じて中国の公観念の歴史的・現実的機能について醒めた見方を強調した。個人的会話で確認したところによると、実はケンブリッジの両氏は溝口説について事前に知悉しており、(日本の公観念に比して中国の公観念の有する意義を強調する)溝口説は中国の公観念を理想化し過ぎているとみなし、それに対する現実主義的(リアリスティック)な観点からの批判をも含意して当日の報告に臨んでいたのである。
それでもマクマレン教授の場合は、その穏やかな人柄もあって、報告も歴史的考察に限定されており、抑制的で批判は暗示されているに過ぎなかったのに対し、おそらく年長のJ・マクダーモット博士の「中国における公私分割の解決と問題」の場合は極めて直截であり、西洋的観念からの典型的な東洋批判の型をなしていた。即ち、中国においては、対立を曖昧にして非政治化し変動に抵抗する傾向があり、公観念も、官僚・政府を正統化する官吏のレトリックであり、儒学的な道徳的観念は政治的現実というよりも陳腐なイデオロギー的正統化であった。さらに、16・7世紀以降には新儒学は変容し(*)、結論として、(公を道徳化する)理論と現実は異なり、その隔差は時代が下がるとより明確になり、人々の抵抗の声も統治者に聞かせるのは難しく、公に関連する政治的変化は、非開放的な政治的頂点のみにおいて起こる、とするのである。マクダーモット氏の議論は明快な反面、図式的に過ぎて歴史的な挙証も少なく、荒っぽい印象は否めなかった。ダン教授が討論の途中で「西洋的観念から単純に斬るのは問題で、慎重であるべきだ」とたしなめたほどである。従って、日本側との議論もあまりかみ合わず、金泰昌氏の公私の背反性や破私立公(毛沢東)の危険性についての質問に対しても、公私は混合していて完全に分断されておらず、破私立公のような危険性は、あり得るとしても(それは実際にはレトリックに過ぎないのだから)普通は存在しない、と答えるほどだった(*、金泰昌氏は勿論不同意)。私も業を煮やして、溝口説や丸山真男の「忠誠と反逆」に言及しつつ、日本と異なる易姓革命の事実や、中国的公観念に啓発されて「反逆」を実践した志士などの存在を指摘して反論したが、説得的な返答は返ってこなかったように感じた。溝口氏のような中国専門家が今回は日本側にいなかったため、これ以上議論を詰めることはできなかったが、傍聴していた台湾のモンハン・ツァイ氏も、農民からの王朝への反乱の存在を指摘して批判を加えてくれたことは、特筆に値しよう(*)。
要は、日中の公観念の、微妙ながら重要な差異を認識するところから私達は日本での議論を始めたのに対し、ケンブリッジ側は中国をも批判的に研究しているのでこのような食い違いがおこったわけであるが、ダン教授がいみじくも上のように指摘したように、イギリス側の中国(の公観念)観に若干オリエンタリズム(E. サイード)の残滓が混じっていた嫌いは否定できないであろう。この点において、日本側は議論の正確さと精密さを誇ることができるわけである。これに関連して、日本側は溝口説に従って中国の公観念に今日の公共哲学を考える際の重要な伝統的遺産=「文化的資源」を観ていたのに対し、イギリス側の見方では(日本のみならず)中国の公観念もその意義を大方否定されてしまうことになるから、東アジアの「文化的資源」の中に公共哲学への手掛かりを見つけることが難しくなってしまう、という難点が挙げられる。それでは、イギリス側は、どこに公共哲学の歴史的起点を求めるのであろうか? ケンブリッジのオリエンタリスト達は、暗に西洋の公共観念を東洋裁断の基準にしていたように思われるが、後述するように、今日の知的状況では事はさほど簡単ではないのである。
最後に、インド人であるS.カヴィラージ博士(ロンドン大学東洋・アフリカ研究所)による、インドの公私観についての報告も、以上の論点と関連するので、ここで簡単にふれておこう。博士は、比較の観点とインドの知的資源とに留意しつつ、方法論的には──共通性という普遍的な広い意味ではなく──狭義の公共性、即ちハーバーマスなどが描いたような西洋的公共性に限定して報告を行った。すると、インドの伝統にも信仰やアドヴァイタの中に広義の公共性に対応する観念はあるものの、カースト制等に妨げられて狭義の公共性は存在せず、イギリス植民地時代に西洋から流入して上流階級が受容した公共性(publicity)の観念が出発点ということになる。純粋にリベラルで西洋的な今日のインド政体は既に25─30年位も作動しており、腐敗によって辞任した人の妻がすぐ圧倒的な賛同で選出されるといった事例が物語るように(*)、公共性の手続き的過程の側面には無関心であるが参加の側面では民主主義が機能しており、博士は長期的には楽観視している、という。討論では、金泰昌氏への応答においては、ヒンズー的理論の将来世代に対する含意や国外の議論への対応などが説明され、ダン教授が触発されて「日本の成功についての説明は、(日本人以外の)人類という種全体にとって、重要な問題だ」と述べられたのが印象的だった。筆者にとって、カヴィラージ博士の説明は、西洋思想とインド的伝統との並存という点において、丸山の古層論ないし日本の習合主義シンクレティズムの現象を連想させ、興味深かったが、その観点からすると習合の将来について些か楽観的に過ぎるように思われた。そこでその旨質問すると、「非常に重要な質問だ」として、ヒンドゥー原理主義の危険性や、経済発展を契機に氏がマルクス主義的革命論からトクヴィル的革命論に転じたことなどを語ってくれた。博士の場合、(おそらく)イギリスで博士号を取得したことからもわかるような、西欧的教養のため、公共性論を狭義の西洋的概念に限定して論じており、それ故に丸山真男ら戦後啓蒙の議論の型と共通性が存在している。その反面、西洋的観念を前提としているので、公共性の概念(と民主主義の関連など)について深い吟味を欠き、「インドの文化的資源」の点では結局いわゆる欠如論に終ってしまい、西洋に対するインドからの貢献とはなり得なかった点に、憾みが残ると言わざるを得ない。
ケンブリッジ側の中国研究者にオリエンタリズムの影が感じとれたように、博士のインド観にも類似の問題を指摘し得るかもしれない。この点で、日本の公共哲学共同研究会で報告したシャブシヴァナンダ氏は、ヒンドゥーの宗教的伝統の内部から積極的に公共哲学への示唆を語っておられ、対極的であった。この双方の視座は、日本における「東西」たる丸山と和辻に対応しており、いわばインドにおける「東西」のようなものとして、共に尊重されるべきであろう。
4. 哲学・経済学・公共政策──積極的提言(日)と懐疑的・消極的応答(英)
他のケンブリッジ側報告は、いずれも西洋的公私観にふれるものだったが、同時に理論的側面を含んでいたので、後に述べることにしよう。前述の2報告以外の日本側報告は、いずれも理論的色彩が濃いものだった。山脇直司氏の「21世紀への超(トランス)─国民国家的公共哲学の鍵概念と方法」は、(氏が既に韓国・中国で語ってきた)多次元的自己の概念に加えて、新全体論的発展概念や全体論的・対話論的・生成論的個人主義などを鍵概念として提起し、(オックスフォードのPPEを発展させたような)PPEC(哲学、政治、経済、文化研究〔カルチュラル・スタディーズ〕)という包括的・学際的新カリキュラムを大胆に提唱する意欲的なものだった。これに刺激され、ケンブリッジのSPS(社会政治学部)の中心の一人であるダン教授は長い応答を行われ、おそらく自らも中心的一員として組織してきたカリキュラムを念頭に置いて、山脇氏の全体論的プログラムの利点を認めつつも、(ヘーゲル的な)絶対知や存在論に疑問を呈されて、より現実主義的な立場から、より弱いプログラムを対置された。さらにR・ゴイス博士は、大学におけるダン教授との共同セミナーを彷彿とさせる形で、(表現が洗練され過ぎていて英国人大学院生にすら聞きとりにくいと言われる)ダン教授の意を汲んで、ハイデッガーを援用しつつ、人間の限界の自覚について質問された。これらに対し、山脇氏は、ヘーゲル的な絶対知は拒否することを明言しつつ、ハーバーマス的な「ポスト形而上学的思考」にも組しないことを主張され、金泰昌氏は、生成論の可能性を示唆されて、(教授のためではなく)学生の必要に応える大学への変化を主張された。これは、おそらく本セミナーで最も白熱した議論の応酬であり、日本側の積極的で将来思考的立論とケンブリッジ側の消極的で慎重な姿勢との対照が、最も鮮明に現われたセッションだったと思われる。それ故、筆者は、第l回セミナーにおける激烈な論争を想起し、「日本の学界のタコツボ的状況は、(既に一定程度学際的な)ケンブリッジに比して、一層本格的に学際的改革を行う必要が存在する」旨説明して、ケンブリッジ側に理解を求めたのであった。
似た対立関係は、塩野谷祐一氏の「福祉国家における公私」でも現れた。氏が、公私に加えて「個人/制度」という軸も加えたモデル(PPIIモデル)を提起され、その観点から日本の福祉国家の危機を道徳的(退廃)・政治的(公共理性の欠如)・経済的(過度の拝金主義)という3点を挙げて説明され、(福祉国家の公的領域に経済的論理を導入することによる)その再建のために、──従来の政治・産業・官僚制(PIB)に代えて──政治・経済・道徳(PEM)の三角形を形成することを提言されたからである。ダン教授は、PEMの構想に共感を表明されて、「どのように道徳化するか」ということは実に深く重要な問いだとしつつ、「それに対して今日の西洋は確たる解決策を持っておらず、そのことは私達がいかに深い困難の中にいるかを示している」と述べられた。さらに、教育や資本主義との関連が論じられた後、塩野谷氏の(戦後教育の結果としての)道徳的退廃という主張に対し、足立氏の疑問を踏まえて、ゴイス博士が「道徳の退廃と歴史的変化との混同の可能性」について問われた。ケンブリッジ側に経済学者がいなかったためもあって、経済そのものよりも道徳に議論が集中した嫌いはあるものの、ここでも日本側が、道徳性の復興を積極的に主張したのに対し、それに懐疑的ないし悲観的なケンブリッジ側という構図が再現したように思われた。
以上の2報告において日英間の対立の構図が鮮明であったのに対し、イギリス側から相対的に抵抗感が少なく、むしろ日本側内部で興味深い議論が交されたのが、足立幸男氏の「公共政策研究への経済的アプローチの限界」である。足立氏は費用・便益分析の意義と限界を論じた後、「広義の純便益の概念・十分に良い補償という考え方・経済的誘因の考慮」などを公共政策研究に組み入れることを主張された。ここにおける公共性や効率性の概念について金泰昌・塩野谷祐一両氏と討論がなされた後、M・レイン女史が功利主義的アプローチの一種と位置付けて、憲法論的アプローチとの関係を問題にし、足立氏は功利主義的なR・グッディンの影響を受けていることを明らかにされた。(功利主義的伝統の強い)イギリス側から異和感が少なかった理由の一つは、ここに求められえよう。特に(おそらくグッディンに示唆された)選好洗濯(preference laundering)の考え方は、ゴイス博士らの関心を呼んだが、金泰昌氏は、(それを始めとする)公共政策研究が人々の操作に用いられる危険を指摘され、ダン教授も分析的テクニックとしての利点・問題点双方が存在するとして、「誰が権力を行使するのか」という論点を指摘された。「公共政策と公共哲学との相違点」について質問した筆者の関心も、これらに沿うものであった。総じて、足立氏は、単なる経済的アプローチを批判し、それと区別して、費用・便益分析の進展による公共政策研究の前進を主張されたが、経済学者・塩野谷氏すら(価値に関わる)政策目的の決定が先行することを指摘されたように、政治学的観点からすると、なお手段的・道具的理性に関わる経済的効率性に議論の重点があったという印象は、否み難いように思われる。
5. 公私の理論──リベラリズムとその批判
経済的側面にかなりの比重を置いた日本側に比して、ケンブリッジ側の他の報告は、いずれも哲学的ないし政治思想史的なものであった。まず、若手のM・レイン女史の「市民の安全性──政治思想における、公私の間の、安全性の、問題を孕む位置」は、リベラル(及び共和主義)の公私二分法に疑問を呈し、(通常私的とみなされる)消費行動と(通常公的とみなされる)市民的行為とに公正という点で共通性がある、と主張する。さらに、──例えば、匡正的正義の実現までの痛みを考えれば明らかなように──ノジックらが最小国家論で考えた以上に、安全性という価値は重要であることを指摘し、(従来は公的とみなされてきた監獄について、私的な要素が加わる)「民営監獄(private prison)」を例にして公私の分類の不明確性を論じた。この刺激的な議論に対し、まずイギリス側内部で安全や私的監獄について活発な討論がなされたが、日本側からは金泰昌氏が、超国家的公共性を考える上で、安全性という観点に従来の西洋理論にない魅力を見出し、高く評価された。レイン博士の返答は必ずしも質問に呼応するものではなく、──市場における公共性という観点(への萌芽)を評価した上で──公私問題についての含意について問うた筆者の質問にも「大きすぎる問題でまだ答えられない」とされたように、まだ理論として完全には熟していないという印象は否めなかったが、安全性という観点の提起及び着目は本フォーラムの一つの成果であった、ということができよう。
年若いレイン女史とは対照的に、残る二人は、今日のケンブリッジの政治思想・哲学の研究・教育体制の根幹を担う中心人物だけに、その報告はケンブリッジ側の理論水準を代表するものとみなし得よう。まず、(筆者が在英時にもっとも丁寧に御教示頂いた)R・ゴイス博士の「無恥、精神性、そして共通善」は、まず(1)西洋史からディオゲネスの無恥、(2)(ローマの公益より自らの私益を優先した)シーザーのルビコン越え、及び(3)アウグスティヌスの回心(の告白)を例として挙げ、公私には少なくとも(1)皆が物理的に知り得ること/他人に影響のないこと、(2)皆に関わる公益/部分的私益、(3)内面的に当人のみが知り得る存在論的・認識論的私秘性、といった3種類の意味が存在することを説明した(*)。そして、これらは(私有財産への不干渉を内実とする)今日のリベラリズムの用法とは異なったものだから、公私の概念に統一的用法は存在しないし、その概念によるリベラリズムの正統化は誤っている、と主張したのである。前半で歴史的3事例を挙げることによって西洋における公私の多義性を明らかにした手法は、生彩に富み鮮やかだったし、ここまでは異論は少ないように思われる。ただ、ダン教授が指摘したように、そこから急転直下して今日のリベラリズム批判に向かう結論は、(プラグマティックなマルキストを自称した)ゴイス博士特有のものであり、ダン教授の結論とは必ずしも同一ではないかもしれない。直接伺ったところによると、ゴイス博士は、「中立性」を謳うリベラリズムの偽善が好きではなく、リベラリズムからは道徳性を語ることはできないと考えている(*)、ということであった。
ダン教授の「公と私──規範的地図と政治的・社会的戦場」は、辞書により歴史的な用法を概観した上で、まず公と私との領域をめぐっての様々な歴史的な争いの根源にある問題は、政治的強制権力への服従ないし制限である、という現実主義的観点を強調した。そして、「私」が浸透してきている反面、(歴史的には「私」に対して優越することが自明視されてきた)「公」の規範的基礎が堀り崩されて「公」が動揺している事実を指摘しつつも、結論としてはむしろ逆に、(ウォーターゲート事件からクリントン・スキャンダルに至る)統治に関わる私秘性(privacy)の崩壊を問題とし、それを妨げる文化的資源として(歴史的に私秘性を擁護してきた)キリスト教を挙げて、その影響が将来失われると私秘性を守る規範的根拠が失われてしまうだろう、とするのである。
ダン教授は、行論中で(「私」の優位性を唱える)リベラリズムも(その論敵たる)共同体主義も、経済的・政治的・社会的因果性を捉えていない点において共に不正確であるとして斥けているが、筆者には、その議論がなお公私二分論の枠内にとどまっており、「公」の動揺を指摘しつつも結局は「私」の崩壊への懸念で終っている点において、なお──アメリカ的リベラリズムとは違うにしても──自由主義的な公私論であるように思われた。「私」の崩壊の防波堤をキリスト教に求める点は、いかにも(J・ロックの神学的側面を明らかにした研究で一躍名声を博した)ダン教授らしく、ロック的な自由主義の色彩を感じたのである。ゴイス博士との差異を感じた所以である。そこで筆者は、政治的無関心に対する丸山の若干共和主義的な対応などに言及しつつ、以上の点について、口火を切って質問したところ、ダン教授はその(自由主義的という)解釈をいなして斥け、ブレア首相の例などを挙げつつ、政治の範囲を越えた社会の問題の存在を指摘された(*)。これに対し、ゴイス博士が公私の関係について、「(ダン教授の強調した)権力をめぐる公私分離や人々の心理的動機という二次元の他、道徳的・イデオロギー的・想像的な構成という、もう一つの次元があるのではないか」と質問されたのは、筆者の質問の意を汲んだ助勢で、暗にダン報告を批判したものだったように思われたので、それに対してダン教授が返答する暇(いとま)がなかったのは、残念だった。この後、山脇氏の質問を機に、議論はキリスト教との関連に移り、ダン教授が西洋のキリスト教を念頭に置いているのに対し、「韓国やフィリピンなどアジアのキリスト教は公共的役割を果たしている」という指摘が日本側からなされた。山脇直司、金泰昌両氏のこのような指摘の正しさをダン教授も認められた。
6. 総括──日英の温度差と最高の賛辞
最後に国内の公共哲学共同研究会における発展協議に相当するものが、金泰昌氏の用意してこられた「現在及び将来世代のための地球的公共哲学の基本的問題」をめぐって行われた。カヴィラージ氏が共同性(common)と公共性(public)の相違について述べ、ゴイス氏は「公共性の概念は歴史的にあまりに多様な意味群から成っているので、単に用語のみについては答えられず、用法によって区別することが必要だ」とされた。レイン女史は、ヴィトゲンシュタインの私的言語論に言及して「公的知識と私的知識を区別することはできない」と論じたが、これに対し、ダン教授が業を煮やしたように語気強く反論され、例えば自然科学の領域で知識が私物化してしまうという問題の深刻さを指摘して、金泰昌氏の問題提起の重要性を確認された。
このように、ダン教授は、公共哲学の重要性に理解を示され対話に積極的だったものの、第4節で言及したように、(ダン教授自身も含め)イギリス側と日本との間に、総じて積極性の点で温度差があったことは否めない。レイン女史の議論は新鮮だったが、女史自身は公共哲学の必要性については十分に理解しておられなかったようである。ダン教授は、ゴイス博士が「(直接見た人の中で)世界で最も懐疑的な人」と評するほど、悲観主義的な見方をするのが例であり、キリスト教的で道徳的関心を強く有するものの、キリスト教の未来には悲観的であり、同様に公共哲学の可能性にも単純には賛歌を送れないのも、むしろ当然であろう。その人柄をある程度知る筆者にとっては、時折垣間見せる熱意の方にむしろ驚いたほどである。おそらく、ゴイス博士は、今日のリベラリズムに批判的で、キリスト教のみならず他の諸宗教や(それに対応する)ルソーのような世俗的思想にも公共性の道徳的根拠を認める点において、公共哲学や共和主義に最も好意的であると思われるが、博士にしてなお、公共性の多義性の分析はリベラリズムの公私観念の批判に目的があり、公共性の観念を氏独自の観点から規定して積極的に用いるには至っていなかった。政治思想史のケンブリッジ学派は共和主義研究で有名なので、筆者は共和主義をめぐる議論を期待していたが、(レイン女史の批判的言及以外には)殆どふれる報告がなかったので、訝しく思い、後でゴイス博士に質問したほどであった。
しかし、このような温度差は別にして、今回のフォーラムが学術的に極めて充実した最高水準のものであったことは、疑う余地がなく、このような評価は、会議中及び会議後にケンブリッジ側からも異口同音のように繰り返された。例えば、ゴイス博士は、最終日の翌々日(17日)に氏の自宅で私の論文について意見を伺った際、会議全体に対しても次のような感想を述べられた。ダン・ハリソン両氏との一致した評価として、今回の会議は、これまでケンブリッジで行われた国際会議の中でも最高度の水準のものであった。また、会議設定の仕方も素晴しく、長過ぎて退屈になることも短すぎて議論ができないこともなく、このことは参加者が殆ど最後まで継続して参加したことに表われている。また、英語能力の高さに驚くと共に、(一人一人が何を考えているかわからないことの多い)日本人との会議の中では異例なことに、日本人間での意見対立も含め、日本側の意見が明確にわかり、最後には日本側参加者の一人一人の個性までわかるようになった、というのである。さらに、内容としては特に、(1)東アジア・西欧に加えて、インドの観点がとりあげられた点、(2)哲学・政治学に加えて(足立氏の述べた選好洗濯のように)経済学の観点が加わった点、(3)家族という問題が論じられた点、について言及されて前進と評価され、この会議の結果、(4)ケンブリッジ側と日本側との間の差異と同時に共通点も浮かび上がった、とされた。差異は、(山脇報告の討議に典型的に表われていたように)日本側には形而上学的・存在論的議論が存在するのに対し、ケンブリッジ側はそれに懐疑的であるという点であり、共通点とは、日本側も(アジアの公共性の概念の比較考察や丸山の古層論のように)ケンブリッジ側と同様に歴史的・系譜学的考察を重視しているという点である。博士は、これらが次なる対話の端緒となることを示唆しているように思え、私としてもこれは重要な主題だと考えるので、ケンブリッジ側とまた議論する機会を持つことができた際には、将来世代や公共性との関連で、存在論・生成論・歴史等を主題として本格的な議論を行うことができれば、学問的にも実り多く有意義だろうと感じたことを付言しておきたい。
私達のこれまでの試みの価値については主観的には改めてイギリス側の評価を聞くまでもない事ながら、ケンブリッジ側から客観的に上のような高評価を受けた事の意味は、国際的には決して小さくはない。ゴイス博士が力を込めて言われるには、「日本側の報告には、世界で最高水準に位置しないものは、どれ一つとしてなかった」(強調点は本人)というのである。報告の中に最高水準のものが含まれていたというのではなく、全てが最高水準にあり、だからこそ会議に飽きなかったというのであり、(外交辞令では全くない)この本当の感想を是非日本側に伝えて欲しい、という雰囲気であった。これは、最高の賛辞に他ならず、(予想以上の日本側の水準に対する)ケンブリッジ側の率直な驚きと対話の継続への期待を、ここに読みとることができる。
第1回フォーラムで一部ケンブリッジ側参加者の──見知らぬ日本の新しいグループに対する──懐疑心と不信感に悩まされた筆者にとって、遂にこのような評価が確定したことは、感無量であった。これは、日本側参加者全員にとっての光栄であることは勿論ながら、何よりもこれまでの公共哲学共同研究会全体にとっての名誉であろう。国内の研究会の蓄積があったからこそ、その成果に立脚した私達の議論は、世界の学問の最高峰の一つをも驚かせる様な水準に、期せずして達していた、と考えられるからである。「勝って兜の緒を締める」ということわざ通りに今後一層の努力を重ねることを期しつつ、あたかも戦勝報告にでも似た愉快な気分で、この拙文を皆様への成功報告とさせて頂きたい。
*当日提出されたペーパーの分を除き、筆者のメモと記憶に頼って書いたものなので、若干不確かと思われる部分には、*を付しておいた。なお、会議中の発言の引用は、いずれも要旨である。
(『公共哲学共同研究会ニュース』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年12月5日、第7号、1-7頁、20001年2月改訂)
土曜日, 10月 6th, 2007
小林正弥(千葉大学)
私にとって、今回の会議は、初の韓国訪問であると同時に、初のアジアの国への旅であった。イギリスに海外研修に行った際に若干ヨーロッパ諸国を回っただけで、他に観光目的の海外旅行はしたことがないので、近年のアジア観光の盛行にもかかわらず、行く機会がなかったのである。それ故、今回の訪韓は、西欧諸国とは異なった趣きをもつアジア見聞の第一歩となり、非常に新鮮であった。と言っても、これまでアジア諸国や文化に関心をもたなかったわけではない。論文でも、「脱亜入欧」(福沢諭吉)の態度を批判しつつ、修辞的に「脱欧入亜」という逆説的表現を用いたこともあるし、アジアの文化、ことに宗教・哲学や、恩顧主義(クライエンテリズム、親分─子分関係)等の人間関係についても、若干調べたことがある。つまり、思想的ないし理論的にはアジアに関心を持ちながら、それは、現実的・経験的にはまだ直接の見聞をもたぬフロンティアだったのであり、貴重な体験をさせて頂いて、今回の会議には心より感謝している。僅か四泊五日の滞在ながら、従来は紙の上ないし映像としてのみ知っていた韓国に対して、帰国後には非常に親しみを感じるようになり、我ながら驚くほどである。
会議終了後の帰国日(23日)に、夕方の航空便だったので、半日観光して韓国文化の一端を垣間見ることができた(徳寿宮、曹渓寺、昌徳宮)が、何と言っても、今回の会議の密度と充実感が、素晴しい印象となって残っている。そもそも、山中に切り開かれたようなソウル大学自体の広大さに感嘆したし、会議や晩餐会の格式及びそこに参加された韓国側の方々の(しばしば日本思想史にも及ぶ)深い学識にも、驚くことが多かった。韓国に到着するまで、今回の会議の詳細については知らなかったので、率直に述べれば、これらは私の想像していた範囲を遥かに凌駕するものであった。
ここで、会議の内容に細かく立ち入る余裕はないので、総括的な印象を記しておこう。日韓の会議である以上、半ば必然的に歴史問題との関連が生じ、若干の波乱もあったものの、全体としてみれば、非常に友好的かつ建設的で有意義な会議だったと思う。ことに私自身にとっては、日韓の差よりも、公私問題に関連して日韓双方が共通して抱えている問題(意識)が浮かび上がった点が、非常に印象的であった。韓国側の各報告、ことに具範謨・李鐘殷氏のそれは、伝統思想と近代化・民主化過程との関連にふれており、日本政治理論とも共通性の多いものだったし、ケンブリッジで既に知己となっていた鄭允在氏の(茶山の「自作的」人間観についての)報告は、私に(近代政治思想における「作為」の重要性を強調した)丸山真男の荻生徂徠研究を連想させた。さらに、金弘宇氏の歯切れの良い韓国の(集団主義的文化に基づく)「輩政治=私事化」批判や「政治パン」(職業的政治屋による特異な政治)批判及び「疏通」による「実存的・民衆的公共性」活性化の提案は、私自身の(日本における)集団主義・恩顧主義・疑似政治批判や、交流による水平的公共性の実現という観点と、共通するところが多いように思われ、非常に共感した。私自身の報告にも若干の好反応が得られ、新しい知己を得られたのも喜びであった。
かくして、今回の会議を通じ、私は、かつて漠然と考えていた想像ないし夢が、急速に現実化しつつあるように感じた。それは、私がまだ研究を始めたばかりの頃(一九八六年)のことである。当時、韓国ははじめまだ全斗煥大統領の下にあり、やがて慮泰愚大統領の文民政権への移行が進行していく頃だったと記憶する。私は、恩顧主義研究の一環として、アジアの恩顧主義についても若干調べていたが、韓国のそれについては──軍事政権についてはあまた文献が存在するにもかかわらず──適切な邦語ないし英語文献があまり見つからず、それ以上の検討を断念せざるを得なかった。そこで、私は、「これは、韓国に(集団主義や派閥政治といった)日本と共通の問題が存在しないからではなく、軍事政権ないし開発独裁が当面の問題だからであり、民主化以後には、いずれ遠からず、戦後日本と似た問題が立ち現れ、その時にこそ、戦後日本政治理論と共通する視点から研究することが有効になるだろう」と漠然と想像したのである。(恩顧主義研究も含め)日本政治理論の蓄積は、いずれ韓国はじめアジア諸国の政治研究にも有用となり、(西欧諸国とは異なった文化的背景をもつ)アジア政治研究に有意なアジア(ないし非西欧的)政治理論が、そこから生まれて、アジアにおける知的・学問的・民衆的連帯へと寄与する──こういった夢想であった。
「地球的比較政治学」という私の展望(ヴィジョン)は、このような夢想に胚胎している。しかしながら、このような観念を結晶させた後、具体的なアジアないし韓国政治への興味はそれ以来あまり進展することがなく、夢想も半ば忘却の相の下にあった。それが、今回の会議によって、突然回想として甦ってきたのである。このプロジェクト(や溝口教授の提唱される「知の共同体」)が、今後いかに展開していくのか、私には知る由も無い。しかしながら、今回の会議が、上のような夢の実現への一里塚となり、アジアにも国家を越えた公共性が将来に実現することを祈りつつこの拙なき感想文を閉じたいと思う。
(『日韓で初めて語る公私問題ーー第8回公共哲学共同研究会(ソウル会議)--』将来世代国際財団発行、将来世代総合研究所編集、1999年5月9日、219-220頁)
土曜日, 10月 6th, 2007
「社会諸科学の哲学・政治哲学・公共哲学――『政治的恩顧主義(クライエンテリズム)論』の方法論的背景とその展開」 小林正弥
一.日本行動主義的政治科学批判――経験的批判と方法論的批判
拙著『政治的恩顧主義(クライエンテリズム) 論――日本政治研究序説』(に始まる研究)は、その副題が現しているように、日本政治の構造を的確に把握する事の出来るような概念ないし理論を構築する事を目的としている。その際に、批判の対象として最も意識したものが、研究に着手した当時に華々しく登場して来た実証主義的政治科学、殊にいわゆる日本多元主義論であった。この派の機関紙のような雑誌『レヴァイアサン』が発刊された一九八七年には、私は東京大学法学部の助手二年目であり、相対的には抵抗力のある筈の、その研究機関に於いてさえ、周囲の若手研究者には、これが時代の潮流(トレンド)であるかのように感じ、その流れに掉さして業績を上げていこうと思う人が少なくなかった。この派の思想的・方法的破綻が明らかになったように思われる今となっては、隔世の感があるが、それが当時の漠たる雰囲気であり、そして今でもなおこの呪縛は学界に残存している。
日本多元主義論の批判として、まず第一に考えられるのは、勿論、その理論的内容を日本政治の現実に即して「経験的」に批判する事である。この必要性は論を俟たないし、筆者自身も、余力が有れば今後本格的に行ってみたいと思っている重要な課題である。ただ、助手時代の筆者にとって、周囲の殆ど抗し難いような雰囲気の中で、この――自称する所の――「新しい流れ」に対抗する為には、それだけでは十分ではないと思われた。何故なら、仮に経験的な形で反論を試みたにしても、「実証主義」の方法論の華麗さに幻惑されている限り、その的呪縛から解放されるのは容易ではない、と想像されたからである。経験的反論の結果は、恐らく(丸山眞男以来の)戦後日本政治学の基本的な主張(例えば、官僚制支配や民主政治の形骸化など)を――正当にも――確認する事になるであろうが、方法論の呪縛に一度囚われている人にとっては、自らの研究の礎を失ってしまう恐怖に晒されるが故に、その結果を虚心坦懐に見つめて反省する事は容易ではないだろうからである。現に、新藤宗幸・山口二郎両教授らは、筆者に比して現実的・経験的な角度から多元主義論を批判され、筆者も大いに声援を送っているのであるが、それでもなお実証主義的政治科学は一時猖獗を極め、――山口氏が徒労感を学会などで洩らされる程――なかなか収まる気配を見せなかったのである。
そこで、(生来哲学的・抽象的思考に向きがちな)筆者は、このような経験的批判を補完するものとして、実証主義の哲学的・方法論的批判を行う事を志した。拙著で書いたのは、そのごく一部でしかないが、このような関心に基づく方法論的・哲学的観点は、拙著の重要な骨格を成している。(丸山眞男ら戦後政治学の洞察の再定式化による新世紀政治学の構想など)日本政治学との関連については、拙著の「序章」及び「終わりに」に書いたので、以下では、より普遍的な意義を持つこれらの側面について、回顧的な説明を行ってみよう。
二.原論文における方法論――微視的(ミクロ)原子論/巨視的(マクロ)全体論と「本来の政治学」
戦後政治学ないし社会科学に関心を持つ筆者は、例えば、マックス・ヴェーバーらの方法論ないし方法論争に元来興味を感じており、行動主義的政治科学の批判にあたって、このような方法論争に遡って考えるのは、ある意味では当然の成り行きであった。実際、海外でも、例えばガネルやリッチの仕事に明らかなように、筆者の言う「アメリカ政治科学の自己省察」(拙著二六一頁注一〇参照)に於いて、哲学や社会学の成果が実証主義的政治科学批判の文脈で用いられる事は、決して珍しい事ではなく、むしろ当然であろう。
しかしながら、海外の常識は必ずしも日本の常識ではなく、何よりも日本政治自体の経験的分析という、手短な具体的成果を追い求めていた日本政治学者の多くにとって、これは迂遠で不毛な抽象的方法談義と見えたかもしれない。これに輪をかけたのが、筆者の恩顧主義(クライエンテリズム)研究の方法である。
比較政治学の研究としては、(拙著で「対関係交換理論」と呼んだ)通説に従って恩顧主義(クライエンテリズム)ないし庇護者(パトロン)―随従者(クライアント) の概念を理解し、すぐ経験的研究に入るのが、普通であろう。派閥・後援会・政治的腐敗の研究や、日本のそれらの現象と他の地域に於けるそれらを比較するなど、為すべき主題は山のように有るし、研究に着手した当時は、筆者も、このような視点に立脚した歴史政治学的・比較政治学的研究を行う事を考えていたのである。ところが、拙著第3章で詳しく扱ったアイゼンシュタット=ロニガーの恩顧主義(クライエンテリズム) 論を本格的に考察する内に、このような見通しは根本的に変更され、かなり抽象度の高い概念ないし理論の研究を中心にする事になった。アイゼンシュタット自身も、高名な社会学者にふさわしく、六十年代以来、様々な方法論的考察を積み重ね、ヴェーバー以来の社会学の伝統を彼なりに発展させて、恩顧主義(クライエンテリズム)研究を重要な媒介として「比較文明的接近法(アプローチ)」に到達していたのである。そこで、筆者の恩顧主義(クライエンテリズム)研究は、これをまず方法論的に吟味し、その弱点を克服する形で進む事になった。
ごく簡単に述べれば、通説の対関係交換理論が、社会学の交換理論に依拠しており、「各人が自己利益の最大化を目指す」という原子論的・個人主義的方法論に立脚しているのに対し、アイゼンシュタットらは、構造主義の代表者・レヴィーストロースの概念(「一般交換」)を導入し、全体論的・集合主義的方法論に立脚した巨視的(マクロ)恩顧主義(クライエンテリズム)論を――筆者が主理論と呼ぶ――基軸として提起した。もっとも、アイゼンシュタットらは、対関係交換理論のような微視的(ミクロ)・原子論的理論を完全に放棄したわけではなく、これも「副理論」として存在し、不十分な形ながら双方が共存している。そこで、筆者は、レヴィーストロース自身の「一般交換/限定交換」の概念に遡って恩顧主義(クライエンテリズム)を――「垂直的限定交換」として――規定しつつ、巨視的(マクロ)・全体論的な方法論と微視的(ミクロ)・原子論的な方法論とを統合ないし総合しようと企図したのである。これは、レヴィーストロースの構造主義を、その難点を補う形で再構成したものであるが故に、その方法論を「新構造主義」と呼び、筆者の理論を「新構造主義的恩顧主義(クライエンテリズム)論」と命名したのである。
また、「恩顧主義(クライエンテリズム) の概念が、まず人類学で形成され、社会学や政治学・歴史学などに導入された」という学説史を反映して、筆者の研究も、これらの諸領域の研究を広く学際的に扱う事になった。そして、実は、ギリシャ以来の古典的政治学に於いては、このような学際的考察がむしろ当然であった事に鑑みて、このような政治学を「本来の政治学」と呼んだのである。単に対象領域の大きさに着目して言えば、通常の政治学が「小政治学」であるのに対し、「本来の政治学」は「大政治学」という事になるであろう。さらに、このような古典的政治学を本格的に確立する為には、単に方法論というに止まらず、哲学的基礎が必要であると考え、原論文では、注にそれを「哲学編」として予示しておいた。
これらの結果、多くの政治学者達とは、学問的背景ないし対象の点で乖離が生まれる事になったように思われる。実際、『国家学会雑誌』に掲載された原論文は、明確な批判を受ける事も殆ど無かった反面、「難解」という評を受ける事が多く、その論旨を十分に理解して頂く事が少なかったような気がする。そして、筆者自身も、右のような方向は、――世界的にも類例の無い――筆者自身が開発しつつある理論的・方法論的フロンティアであると思っていたが故に、そのような事情を余り意に介する事も無く、研究の完成を目指して勤しんでいたのであった。
三.ケンブリッジの反実証主義的学際性――ギデンズ、ダン、スキナーの横顔
実は、このような理論的展開は、「別に海外の動向から直接学んだわけではなく、世界でも独創的な試みである」と自負していた為に、筆者は、自らの理論の完成の方に精力を傾注しており、海外に行って学びたいとは余り思っていなかった。そもそも、日本行動主義的政治科学は、アメリカに留学した若手政治学者が、その実証主義的方法を日本政治分析に無反省・無邪気に適用した為に生まれたものであり、その様子を見るにつけ、筆者は、丸山眞男以来の日本政治学の伝統や洞察を踏まえて、日本政治の考察に適した――「どこの国の借り物でもない、みずからの地盤に根を下した政治学」(丸山眞男[i])の――理論ないし概念を形成する事を志していた。その結果、(正に日本政治研究の為の必要性に基づいて着想した)普遍的な理論的アイデアを豊富に得る事が出来て、その実現に多大な時間を要するのに、海外に行って時間を費やすのが勿体無く思えたのである。こうして、筆者は、三二歳まで海外に行った事は全くなく、簡単な英会話すら試みた事が無いような状況であった。これは、今日では、むしろ珍しい方であろう。
然るに、その完成作業には予想外の時間を要し、まだ完成させていないにも拘らず、周囲の状況や薦めもあって、一九九五―九七年にケンブリッジ大学社会政治学部に客員研究員(後半は同時にセルウィン・コレッジの準フェロー)として海外研修に行く機会を得た。ケンブリッジ大学を選んだのは、アメリカ政治科学とは異なった政治学の姿が、イギリス、殊に古典的な学問の伝統が強いオックスブリッジに存在するのではないか、と漠然と期待したからである。この期待は裏切られず、例えば社会政治学部でも、素朴な行動主義・実証主義には批判的な人が多く、(ロック研究などで著名な)政治理論の泰斗ジョン・ダン教授John Dunn)に代表されるような伝統的な学風が健在であると共に、現存する世界一の社会学者アンソニー・ギデンズ教授(Anthony Giddens)が一年目にはまだおられ、フランクフルト学派・フーコーらポスト構造主義・現代言語哲学・解釈学などの、多様な新しい潮流の影響も強かった。将来世代国際財団・将来世代総合研究所の依頼で、両氏らの協力の下に、「自己と将来世代」についての国際会議(ケンブリッジ将来世代フォーラム、一九九六年一一月十二―一四日)を開催してその成果を英国で出版する[ii]など、書き出せば思い出は尽きないが、ここでは割愛して、話題を方法論に絞ろう。
筆者は、ギデンズ、ダンら社会政治学部の講義は勿論の事ながら、哲学・歴史・古典・科学哲学・自然科学・神学などの様々な学部の講義やゼミに、2年間の間毎日数時間づつ意欲的に参加した。おそらく学生時代より沢山の講義を集中的に聴講したのではないかと思う。政治に於ける「理解」を主題に掲げるダン教授の講義(「政治の理解」)は、イギリス人にも聴き取り難いという修飾的な英語を駆使するものながら、学識の深さを感じさせる重厚なものであった。これとは対照的に、(メモすら全く持たずに話す)ギデンズ教授の語り口は軽やかで明快であり、(マルクスやヴェーバーから始まって二十世紀の社会思想の諸潮流を包括的に描き出す)その講義(「社会理論の発展」、後半はJ.トンプソン博士John B. Thompson)は、思想を生き生きと鮮やかに描き出す点に於いて、講義自体が卓越した芸術作品の如き美しさを湛えていた。また、(歴史学部に於ける)クェンティン・スキナー教授(Quentin Skinner)の講義(「自由の観念――ホッブズからT.H.グリーン」)[iii]は、極めて鋭利な分析と(自由に対して)迸る道徳的情熱が印象的で、圧巻であった。それは、(筆者が極僅かに耳にした事のある)丸山眞男の語り口を髣髴とさせるものであり、東西の極めて優れた政治思想史家の間の類似性は、非常に印象的であった。これらの偉大な学者のいずれもが、素朴な実証主義には批判的で、かつ学際的であった。ダン教授にしても、著名な政治思想史に加えて、革命(同名の講義も存在)やアフリカ政治などについての比較政治学的研究も公刊しておられ、この点を聞いた所、そのような学際性を自明視しておられたし、スキナー教授の有名な思想史方法論はコリングウッドらの哲学の刺激を受けているし、さらにギデンズ教授に至っては、殆どあらゆる現代哲学・社会科学の動向を踏まえて独自の理論を構築しておられるので、その学際性は改めて述べるまでもない。
組織的にも、社会政治学部自体が、社会学・政治学・社会心理学・社会人類学などの多領域を含んでいるが、これらの講義に加えて、他学部の講義を自由に聴講する事が出来たのは、筆者にとって非常に有益であった。ここでは一々書ききれないが、特に印象に残ったものとして、他に、ジョナサン・スコット(Jonathan Scott, 歴史、「古典的共和主義」)、M.バーニヤート(Myles Burnyeat,古典、プラトン)やB.ウォルディ(B. B. Wardy,同上)、マイケル・レッドヘッド(Michael Redhead, 科学哲学、量子論の哲学、素粒子論の哲学等)、ロス・ハリソン(Ross Harrison, 哲学、平等等)、E.T.オルソン(Eric T. Olson, 哲学、人格的同一性)などの各氏の講義を挙げておこう。この内の何人かの著作は、邦訳なども刊行されていて、日本でも著名である。また、スキナーやダンによる有名なセミナー(「政治思想と知性の歴史」)を始め、様々なセミナーや講演が催され、筆者も、ハーバーマス、ローティ、D.ルイス、D.M.アームストロング、R.ドーキンスらの話を聴く事が出来た。これも、ケンブリッジならではの恩恵であろう。
前述のように、既に論文で多様な分野の文献を読んでいたのだが、日本では学部間で「蛸壺」的(丸山)な状況が存在し、他分野の研究者と稔りある会話を直接する機会がそれまで殆ど無かったので、ケンブリッジで自由に他領域の専門家の講義やセミナーを聞き、質問などによって自分の理解を確かめるのが非常に楽しかった。これを通じて、筆者は、(それまで文献によってのみ得ていた)これらの分野についての自分の知識が正確であり、論文での論述が決して的外れではない、という確信を得る事が出来た。他領域については、それまで、書物を通じての、いわば独学で、いかに文献を読んではいても自分の知識について完全な確信を持ち得なかったので、生き生きした会話によって、右の感触を得る事が出来たのは、筆者にとって、非常に大きな意味を持つ事であった。このような学際的な交流が可能になったのは、ケンブリッジの学者の教養や視野の広さと共に、学部とコレッジとの二重のシステムなどに負う所が大きいであろう。我国と比べて、この学際的な知的環境を羨ましく思うと共に、それを何らかの形で導入できないかと思った次第である。
四.「社会諸科学の哲学」と「政治哲学」との邂逅――ケンブリッジでの発見
のみならず、筆者は、これらの講義の中から、今後の研究にとって決定的に重要と思われる二つの領域を発見した。それは、いずれも、(フランクフルト学派の批判的研究者である)レイモンド・ゴイス博士(Raymond Geuss)[iv]が講義されていた「社会諸科学の哲学」と「政治哲学」である。ゴイス博士(当時社会政治学部、後、哲学部)は、おそらくアメリカから来られた(元コロンビア大学教授)為もあって、私のような異邦人にも殊に親切で、ギデンズ教授らと共に学期始めのパーティーでお会いして以来、非常にお世話になった。氏は、例えば、イギリス人にも難解な英語を駆使するダン教授と、セミナーを一緒に開催し、ダン教授と学生との間を媒介しておられたように、とても親切で優れた教育者である。
筆者がゴイス教授と親交を持つ事が出来たのは、氏のこのような人格による所が預かって大きいが、先の二領域の発見は、それとは一応独立した、純粋に学問的な事柄である。まず、筆者がケンブリッジで始めて聞いた講義の一つが若いパトリック・バエルト博士(Patrick Baert)[v]による「社会諸科学の哲学への歴史的入門」であり、バエルト博士は、「実証主義→ポパーら→クーン→バスカールらの批判的実在論(critical realism)」というような筋立てで短期の講義をされた。筆者が批判的実在論の存在を知ったのは、この講義によってである。もともと科学哲学に興味を持っていた筆者は、この講義に触発されて、その後、マイケル・レッドヘッド教授やJ.バターフィールド博士(Jeremy Butterfield)の科学哲学の講義に出席し、さらにゴイス博士の講義「社会諸科学の哲学に於ける諸論点」に参加したのであった。
ゴイス博士は、まず十九世紀以来の通説的見解(Received View)を①統一科学②自然科学の優位③経験的偏向(バイアス)④ 事実と価値の区別、と整理された上で、その統一科学の発想に対して、19世紀末以来、異論が生じ、自然科学と社会科学の二元性を主張する考え方(解釈学や新カント派)、さらには逆に人間科学・社会科学の側から科学の統一性を主張する考え方(ガダマーら)が現れた、という全体的な構図を示された。その上で、通説的見解について、自然科学的な法則性・説明・予測などの考え方や、それに基づく研究方法、例えば観察、一般化ないし帰納、仮設―演繹的方法、実験などを説明され、(これらが社会科学にも成立すると見倣す)通説的見解の中に含まれるものとして、実証主義(コントら)や論理実証主義を説明され、例えば、その法則―演繹的モデルなどに対する批判を説明された。そして、これに対抗する「意味」に着目する考え方として、①大陸の解釈学(ディルタイら旧解釈学と、ガダマーら新解釈学)、②行為の合理性・理由への着目(アンスコームやデヴィッドソン)、③ヴェーバー、④発話行為論(オースティンやスキナー)、〔⑤ ヴィットゲンシュタイン〕を挙げられた。最後に、この二つを超える考え方として、――批判理論の研究者らしく――(外在的・内在的)批判の観念に簡単に言及し、(意味への着目が陥りがちな)相対主義について説明を加えられた。
筆者にとって極めて啓発的だったのは、ゴイス博士自身の結論以上に、「社会諸科学の哲学」という領域ないし科目が、このように確立している事実を知った事であった。これこそ、筆者が原論文執筆時に試行錯誤しながら、方法論ないし「哲学編」という用語によって表そうとしていた内容と、大きく重なるものだったからである。いわば、それまで筆者が日本で各領域の文献を調べ、それぞれの領域に断片的に存在する情報を集めながら模索していた主題が、ケンブリッジでは既に体系的に講義されていた事を知った訳であり、自分が単独で追求してきた主題が既に重要なものとして確立している事実を知った事は、大きな喜びであった。筆者が、この学問領域を帰国後に紹介・導入したいと考えたのは、改めて述べるまでもない。
そこで、筆者は、「このような学問領域は、日本には殆ど存在しないので、紹介・導入したい」とゴイス博士に述べて、幾つかの質問を行った。例えば、科学(science)という用語には、今日、余りにも自然科学のイメージが付着してしまっているので、自然科学の方法論と社会『科学』のそれとの関係を考える領域の名称として、社会科学の哲学(philosophy of social sciences)が適切なのかどうか」という点、それに関連して、「自分の事を『社会科学者』と呼ぶかどうか」などについてである。博士は、「これは自分達が始めた新しいプロジェクトである」とされて、筆者の企図を大いに喜ばれると共に、大略次のように答えられた。「確かにその懸念はあり、例えば、ダン教授ならば、おそらく自分の事を『政治科学者(political scientist)』とは呼ばず、『政治理論家(political theorist)』と呼ぶだろう。ただ、ここでsciencesというように複数形を使っている点に注意して欲しい。これは、自然科学的な統一科学のイメージに限定されていない学問観を示している。歴史的には、十九世紀にはJ.S.ミルらが「道徳科学(moral science)」という用語を用いていたように、scienceという言葉は必ずしも今日の自然科学の意味で用いられて来た訳ではないから、このような(複数形の)用法も無理ではない。もし、それでも気になるのなら、例えば、『社会的知識の哲学(philosophy of social knowledge)』ないし『社会探求の哲学(philosophy of social inquiry) 』などと表現したらどうか。」この小稿の題で、敢えて「社会諸科学の哲学」と複数形に訳したのは、この博士の説明を承けての事である。
既に紙数が尽きたので、もう一つの主題たる政治哲学については、一言だけ触れるに止めよう。「社会諸科学の哲学」の場合とは異なって、政治哲学が学問領域として存在している事位は、筆者も知っていた。ただ、日本に於いては、法哲学のみ発展していて、政治哲学は諸大学に殆ど独立した講座が無い為に、ロールズの紹介すら細々と為されているに過ぎなかった。もともと「哲学編」の重要な部分が政治哲学となる事は自明なので、ケンブリッジでは当初から意識的に政治哲学の講義等に全て参加するように心掛けたのである。ゴイス博士は政治哲学の講義やセミナーも行っており、この点でも裨益する所が大きかった。勿論、ケンブリッジは政治思想史研究のメッカなので、それも可能な限り摂取するように努め、スキナー教授の講義やゴイス博士との会話から、いわゆるケンブリッジ学派の(日本で強調されている方法論のみならず)共和主義研究の重要性を認識して、(ペティットらの)今日の政治哲学としての共和主義の出現を認識した事も、大きな収穫であった。こうして、(日本では漠然としたものに過ぎなかった)政治哲学の明確なイメージを得る事が出来たので、これも日本政治学に是非本格的に導入したいと思いつつ、帰国の途に着いたのである。
五.日本での出会いと急展開――政治哲学・公共哲学・社会哲学
帰国後、これらの希望を実現する機会は、予想以上に早く、かつ思いがけない形で次々とやって来た。まず、千葉大学で、前田康博教授の定年退官に伴って、筆者が(教授の担当されていた)政治原論の講義を引き継ぐ事になり、それを「政治哲学」という名称に変えて、従来から担当していた比較政治の講義と隔年で開講する事にした(一九九九年より)。それと並行して、一九九八年より宇野重規助教授(現在は東京大学社会科学研究所)と政治哲学研究会を作り、今日までほぼ毎月一回づつ開催している。これらの政治哲学の研究・教育活動は、恐らく日本では数少ない試みと自負している所である。
また、先に言及したケンブリッジ・フォーラム以来の縁により、将来世代国際財団・将来世代総合研究所(金泰昌所長)の主催する様々な研究会、殊に(筆者が帰国してから始まった)公共哲学共同研究会(一九九七―二〇〇〇年)に継続的に参加し、政治哲学の立場を中心にして、公共哲学の共同構築作業に積極的に協力して来た[vi]。この研究会は、(専門分化して専門家以外にはわからなくなってしまっている)学問間の壁を超える事、即ち、学問の私物化を超え、学問の公共化を図る事を目的の一つとしており、これが――公私関係の議論の内容と共に――筆者にとっては最も意義深く、魅力的に思える点の一つであった。率直に言えば、決して少なくは無かった問題点を乗り越え、哲学の内容に於いては金博士と論争を繰り返しつつも、このプロジェクトに携わり続けられたのは、――戦後啓蒙期以来、日本では初めてと思われるような――この学際性に魅き付けられたからであり、各学界を代表される高名な先生方のお話を伺えるのは、学問の醍醐味以外の何でもなかった。ケンブリッジで味わったような夢のような学際的な知的交流を、期せずして、日本でもその最高レベルに於いて体験する事が出来た訳であり、これは全くの僥倖以外の何物でもない。
逆に言えば、この学際的研究会で筆者が何ほどかの貢献を為し得たとすれば、それは前述のような筆者の知的遍歴に負う所が大きい。例えば、これらの研究会で、環境問題などを巡って社会科学系の学者と自然科学系の学者とが対立し、緊張が走る事が時にあったが、その時、筆者の念頭に浮かんだのは、「社会諸科学の哲学」に於ける方法論的対立の様相であった。方法論の対立は、単に抽象的な問題に止まるのではなく、具体的な問題に即して考えている際にこそ、深刻な問題として立ち現れるのである。なお、公共哲学そのものについて、ここで触れる余裕はないが、筆者自身の展開しつつある公共哲学は、――拙著の延長線上に展開される筈の新構造主義的公共性論を基盤としつつ――やはりケンブリッジ学派の共和主義研究に触発されたものであり、それ以来想を練ってきたネオ・リパブリカニズム(的政治哲学)を基軸とし、リパブリカニズムを「公共主義」と訳して、「新(総合論的)公共主義」と呼んだものである。
出会いは、以上に止まらない。公共哲学について編著を刊行された事[vii]を契機としてこのプロジェクトに山脇直司教授(東京大学大学院総合文化研究科)が参加され、以後重要な役割を果たされたが、研究会での出会いを機にその著作を読んで筆者は一驚した。迂闊にもそれまで気付いていなかったのだが、教授の『包括的社会哲学』(東京大学出版会、一九九三年)の第三章は、「社会諸科学の哲学――基礎論的考察」と題されており、正しくこの著作こそ、筆者の導入したいと考えていた「社会諸科学の哲学」を日本に開示したものだったからである[viii]。その引用・参照文献から見る限り、(筆者がケンブリッジで収集してきた)「社会諸科学の哲学」の文献は用いられていないから、想像するに、山脇教授は、ゴイス博士が意識しておられる諸研究とは独立して、そのような学問分野の必要性を認識されたようである。もっとも、これは必ずしも偶然とは言えないであろう。山脇教授も、(正統的な経済学から哲学へと関心を移され)――ゴイス博士と同様に――ドイツに留学されて、ポパー以来の批判的合理主義とアーペルの超越論的プラグマティズムとの論争について研究されて博士号を取得され、ドイツで著作を刊行しておられるからである。共にドイツで研究され、フランクフルト学派に造詣の深い二人が、期せずして同じ学問分野を開拓しておられるのも、また筆者がこの双方から順に深い知的刺激と啓発を受けるに至ったのも、とても偶然とは思えない。従って、「社会諸科学の哲学」を日本に導入しようという筆者の企図は、既に山脇教授らによって先鞭を付けられている事になるから、今後為すべき事は、その先駆的業績を踏まえて、日本独自の「社会諸科学の哲学」を発展させてゆく事になろう。拙著(十七頁)で、その後刊行された『新社会哲学宣言』(創文社、一九九九年)に言及しつつ、自分の研究について、その華麗な宣言(マニフェスト)に「呼応して刊行される政治学内部からの挑戦…」と述べたのも、決していい加減な思い付きではないのである。
期せずして、山脇教授も、日本に於ける政治哲学の不在を事あるごとに批判的に指摘しておられ、『新社会哲学宣言』でも第五章を政治哲学に割いておられる。政治学にとっては嘆かわしいことに、この章は、邦語文献の内で、今日の政治哲学についての最も優れた要約的紹介ないし批評となっているようにすら思われる。近年、新しく発足した政治思想学会などでも、規範的な政治哲学の必要性が指摘されており、大いに勇気付けられるが、政治哲学の専門的研究者と見倣し得る人が数人しか思い浮かばない現状では、「政治哲学が法哲学のように独立した学会を形成する」などという事は、夢のまた夢と言わざるを得ない。そこで、(公共哲学共同研究会の発展形態として構想されている)公共哲学ネットワークないし学会の中で、その一翼を担うものとして、政治哲学が―― 「社会諸科学の哲学」と共に――次第に発展してゆくのを念願している次第である。
勿論、この小文では、「社会諸科学の哲学」の具体的な展開については述べられない。予示的に述べれば、筆者は、ゴイス博士の言う(実証主義などの)通説的見解――テイラーの言う「自然主義(naturalism)」(拙著二六九頁)――には勿論批判的であり、解釈学などの(自然科学的な「説明」と社会科学に於ける「理解」との)二元論的見解に共感を持っているが、単に批判哲学に止まる事無く、――山脇教授の示唆されている方向(「自己―他者―世界」了解という根源的問題の考察に基づいて、自然・文化・歴史を主題として取り上げる包括的哲学、さらには、存在論的・生成論的な全体論的(ホリスティック)ないし総合論的哲学)をさらに展開して――社会諸科学の側からの「統一科学」という(ガダマーが少しだけ示唆しているという)展望を本格的に追究し、二元論的な方法論的対立を「総合論」として対理法的(ダイアレクティカル)に止揚する可能性を夢見ている、とでも言えようか(拙著294頁注一参照)。
振り返ってみると、さほど期待も準備もしていなかったにも拘らず、筆者にとって、ケンブリッジでの研究は、予想もしない形で自らの研究を新しい領域として位置付ける事を可能にし、かつその後の日本での展開の準備となる実り豊かなものであった。特に「社会諸科学の哲学」は、余りにも新しい展望を開くものだったが故に、筆者は、まず紹介の労を取る事から始めるつもりであったが、既に先学の手によって優れた仕事が公刊されている事を発見した以上、その貴重な土台の上に立って、筆者が元々企図していた研究(「哲学編」)を展開する事が出来そうである。拙著に於ける、(出版にあたっての改訂でギデンズの構造化理論を摂取した)新構造化理論=新構造主義や総合論的社会諸科学の構想は、その第一歩であり、次作では、これらを本格的に展開すると共に、その基礎の上に「脱日本行動主義革命」を遅まきながら遂行したいと思っている。
[i] 丸山眞男「科学としての政治学」(同『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、一九六四年)、三五八頁。
[ii] Tae-Chang Kim and Ross Harrison, eds., Self and Future Generations: an [...]
土曜日, 10月 6th, 2007
東京工業大学教授 今田高俊
市場原理主義にもとづいたグローバル化は公共性を閉ざす力学を内包し、世界は私心化の呪縛に陥る危険性がある。なすべきことは、新自由主義が引き起こして いる弱肉強食型のグローバル化に抗して、異質な文明間の対話と共生を可能にする公共性の樹立である。そのためには、各国の特異な文化や地域性を無視した 「世界標準」を押し付けるのではなく、これらを尊重したグローバル化を模索しなければならない。以上が、私の理解した限りでの「グローカル公共哲学京都会 議」の趣旨である。前号で、山脇直司教授によりグローカル公共哲学の構築に際して、漢字文化圏における「和」の概念の脱構築を中心に、第一回会議の模様が 紹介された。今回はグローカル公共哲学のその他の問題に焦点を当てて報告してみよう。
グローバリズムと公共哲学
新 自由主義の主張は、1980年代のレーガン、サッチャー、中曽根らが依拠した新保守主義の延長線上にあり、市場競争原理によって規制緩和や民営化および福 祉への公共支出の削減を徹底しようとする。その特徴は、新保守主義が抱えていたイデオロギー的側面、すなわち社会の規律を回復し、古き良き家族やコミュニ ティの復活をはかるべきだとする旧秩序へのノスタルジーを払拭したことにある。そして、公益や共同体という概念に代えて「自己責任」を強調する。
しかし、自己責任という美名の下に、様 々なリスクを無批判的に個人へ転化することは許されない。粗野な自己責任論は、社会的弱者に医療・教育・社会保障を自分でどうにかせよと圧力をかけること であり、そうできない場合は自業自得とみなすことである。これでは民主主義の退行にほかならない。
「政府の失敗」を市場によって単純に肩代わりすることは、再び「市場の失敗」による困難を招くことになる。さらに今回は、少数の勝ち組と多くの負け組をグローバルな水準で生みだす可能性が高い。弱 肉強食型の競争原理を掲げる市場主義は、公共性の問題を競争の公正さと敗者のためのセーフティネットに矮小化する(セーフティネットの提唱は新自由主義か らのものに限定されないことをことわっておく)。公共財の配分や公益サービスの提供など、市場メカニズムによって処理できない外部(不)経済の問題を棚上 げすることは、「市場の失敗」に対して見て見ぬ振りをすることに等しい。それは公共性を閉ざす力学を容認することだ。公共性の視点を欠いた社会運営は、人 々から連帯感と共生の観念を奪い取り、殺伐とした人間関係を強いることを忘れてならない。
会議では、このあたりの事情について、 中国/清華大学の廬風教授が「ユニバーサル倫理」の必要性を述べたことが印象的であった。つまり、近代社会の共通ドクトリンである《経済主義》が新しい宗 教として登場することで、これまで倫理や道徳を真剣に考えなくても済む社会作りが進められてきたが、いま我々に課されている責任は、「対話のコミュニ ティ」によるユニバーサル倫理の構築だとしたことである。「対話のコミュニティ」はハンナ・アレントのいうポリス的公共性に通じ、公共性を開く原点となる ものである。また、九州大学の藪野教授からは、グローバルな課題はローカルに対処することが大前提であり、ローカルが主導権を握る必要性が指摘された。 「市民イニシャティヴ」によってグローバルな課題に取り組み、これをネットワーク化することがグローカル公共哲学の基礎である。さらに、ニュージーランド /オークランド大学のアンドリュー・シャープ教授は、原住民であるマオリ族の問題を例にあげて、道徳性が対面的な相互作用から始まり、国家を経て、グロー バル社会へ至るためには、「抽象化による脱埋め込み(disembedding)」が不可欠であるとの報告があっ た。これをどのようにおこなうかは開かれた問題だが、重要なポイントであろう。「対話のコミュニティ」「市民イニシャティヴ」「抽象化による脱埋め込み」 は、グローカル公共哲学の今後の展開にとって避けて通れない課題である。
中間集団の再生
公共性を考える上で重要な論点として、 公と私を媒介する中間集団(英語からの直訳では媒介集団だが、日本の社会学では何故かこう訳されている)の位置づけの問題がある。これは伝統的には家族、 町内会、地域コミュニティ、結社などをさすが、最近は、ボランティア組織、NPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)など新しい中間集団が登場してい る。中間集団は、個人と社会の中間にあって、両者を媒介すると同時に、公と私を媒介する役割をも担うものである。
オーストラリア/ディーキン大学のス トゥルアン・ジェイコブズ上級講師によれば、自発的結社、地域コミュニティそして家族など、中間集団の社会的意義が発見されたのは一九世紀であり、中間集 団による「自生的秩序の実現とその維持に貢献する責任を引き受けること」が公共性を開くポイントである。豊かな社会の実現により、大衆民主主義と福祉社会 が浸透することで、公共精神の崩壊が進んだが、公共性を開くには中間集団を媒介とした自生的秩序の形成が欠かせない。また、韓国/ソウル大学の張慶助教 授は、家族は社会資本とみなすべきであり、家族がおこなう教育投資は公的な営みであることを強調した。韓国では、新自由主義に影響された政府の教育政策の 失敗により、この投資行為が報われなくなっているという。家族の教育投資を公的営みとみなす説得力のある理由づけを知りたいところである。
かつて一九世紀の半ば近く、アレクシ ス・ド・トクヴィルはアメリカ社会を見聞した際、伝統的な中間集団が解体して個人の孤立が進む中、多様な自発的結社が形成されていることに新鮮な驚きを感 じた。そして、この中間集団が担う公私媒介機能に、新しい民主主義の可能性を期待したのであった。その後、中間集団は衰退の一途を続けてきたが、市場や政 府が抱えている利益追求原理や官僚制の逆機能に陥ることなく公共性を開くには、中間集団の再生に期待するほかない。このとき注目すべきは、ボランティア団 体、NPO、NGOなどの新中間集団である。今回の会議では、このような新しい展開についての本格的な報告はなかったが、政府や市場から自律した、市民に よる人・物・情報の支援組織作りが不可欠であろう。また、電子メディアの発達により、これら新中間集団の活動はグローバル化と連動しているから、ローカル な公共性をグローバル化する上でも重要である。
世代責任とジェネラティヴィティ
今回の会議での特筆すべき点の一つは、 「公共空間」だけでなく世代という時間軸で見た公共性が議論されたことである。「世代」は従来、中間集団とみなされてこなかったが、カール・マンハイムの いう「世代統一」に達した世代は、特徴的な価値志向や文化様式を持っており、この意味では中間集団の性質を備えているとみなすことが可能である。
社 会は世代によって構成され、新たな文化や価値が生成され次世代に引き継がれる。にもかかわらず、これまで社会科学では世代について真剣な議論がなされてこ なかった。世代論といえば、価値観のギャップあるいはマーケティングにおける生活様式戦略といった議論に矮小化され、社会編成の空白地帯になっている。家 族崩壊、地域コミュニティの弱体化、高齢社会における医療・介護の問題が指摘される中、世代に焦点を当てた公共性の議論が不可欠であろう。この点につい て、私は昨年十月に出版した『意味の文明学序説-その先の近代』(東京大学出版会)で、すぐ後に述べるケアとジェネラティヴィティの概念を軸に、世代責任 としての公共性を論じておいたが、現状は、世代論の再考を我々にせまっているように思える。
東京大学の山脇直司教授は、これからの公共哲学にとってグローカルな視点と共に、次世代に対して応答的で責任感を持った「多元的自己」の重要性を指摘し た。この点については、前号掲載の山脇教授自身の記事を参照されたい。私見になるが、例えば、かつて日本がおこなったアジア諸国への侵略にかんする「世代 間の罪の継承」問題について、戦争を知らない世代にこれをどのような形でおこなうか難しい問題である。しかし、少なくとも次世代に、過去の対アジア諸国関 係について、侵略の責任の所在が日本国家にあること、したがって各人が国家に責任を取るよう何らかの働きかけをする義務があることだけは、きちんと伝える 必要があろう。世代責任としての公共性を真剣に考えねばならない所以である。
将来世代総合研究所の金泰昌所長は、前号で報告のあった漢字圏の「和」の発想に加えて、エリク・エリクソンの「世代生成継承性」(ジェネラティヴィティ)[i] が これからの公共哲学の重要なテーマとなることを指摘した。これは子供を産み育てることを初めとして、文化を創造して次世代に伝達すること、人に教えたり世 話をしたりすること等、ケアと支え合いを基礎とした世代間の相互実現をもたらす営みである。一言でいえば、次の世代を確立させ、導いていくことへの関心で ある。昨今の、幼児虐待や家庭内暴力などの事件の多発は、ジェネラティヴィティの危機を反映したものであり、現代の日本が陥っている親世代の症状であろ う。世代責任としての公共性が問われなければならない所以である。
[...]
土曜日, 10月 6th, 2007
山脇 直司
去る3月7日から3日間、アメリカのハーバードで、「地球時代の公共哲学(Public Philosophy in the Age of Globalization)」と題するフォーラムが開かれた。そもそも公共哲学(パブリック・フィロソフィ)とは、特に1980年代以降、北米を中心に使われ始めた言葉である。そして現在その最も有力な提唱者が、マイケル・サンデル現ハーバード大学政治学部(ケネディ・スクール)教授であり、1982年にロールズ『正義論』の批判者として学界に華々しくデビューした彼は、1996年に著わした『民主主義とその不足感』において、個人の権利追求を優先するリベラリズムの公共哲学に抗し、人々の自治に基づく共通善の実現を追求するリパブリカニズム(共和主義)の公共哲学を唱え、今日に至っている[i]。その彼と、京都を拠点としてここ二年にわたり多様な観点から幾多の公共哲学研究会を主催している京都フォーラム・将来世代総合研究所長の金泰昌氏が、チャールズ・テイラー氏やWm・セオドア・ドバリー氏といった世界的に著名な学者やハーバード大学政治学部の教員や院生を招き、グローバルな観点からの公共哲学の可能性について議論を試みようというのが今回のフォーラムの趣旨であった。そして日本からは、大沼保昭東京大学大学院法学政治学研究科教授と東大大学院総合文化研究科に所属している筆者が提題者として、また小林正弥千葉大学法経学助教授と金鳳珍北九州大学助教授、および日本で学んでいる大学院生6名が討論者として、それぞれこのフォーラムに参加した。筆者はすでに昨年の秋に、東大駒場キャンパスで、このような国際公共哲学をめぐるフォーラムを、将来世代国際財団の援助も得て、ヨーロッパ、香港、韓国などから学者を招き主催した[ii]が、今回は、一体北米の学者がグローバルなレヴェルでどのような公共哲学を構想するのか大いに関心を抱いて、このフォーラムに臨んだ。以下では、その模様と参加者の一人として色々感じたことをまとめてみたい。
奇しくもスーパー・チューズと重なった3月7日の初日は、ドバリー氏とテイラー氏の提題をめぐって、活発な議論が行われた。アメリカにおける朱子学の大家として名高いドバリー氏は、約20年前に朱子学とリベラリズムの親近性を論じて注目を浴びた学者であるが、最近ではむしろ儒教を一つのコミュニタリアニズムとみなして、その現代的意義を論じる傾向が強まっている[iii]。そこでまず、彼が一体どのような問題提起を行うのかに、参加者の関心が集まった。その彼は、朱子学が仏教やエスノセントリズムにはない普遍主義的倫理を持ち、しかもその理気思想が宇宙論的射程を持つが故に、地球的規模でのエコロジー危機に対処しうる公共哲学になりうることを指摘した。そしてさらに、儒教には「人民による政治」という伝統はないものの、統治者が常に民意を汲み取り「人民のための政治」を行うという意味での公共性の伝統が存在している点を強調した。これに対し、金泰昌氏から儒教が人間存在の私的側面を過度に軽視しているのではないかという疑問が、またインド系の政治哲学者メータ準教授から、制度との関わりにおける儒教の難点についての疑問が出されたが、ドバリー氏は、侍文化によって歪められた日本の儒教・朱子学と異なり、本来の儒教・朱子学には人権思想や制度変革思想が存在することを改めて力説した。
こうした見解はしかし、一時期わが国の知識人に影響を与えた丸山真男の朱子学観と大きく異なるものである。この点をついた小林氏の質問に答えて、案の定、ドバリー氏は丸山の朱子学観は西洋中心主義的発想に由来する偏見に過ぎないと一蹴した。だが、小林氏も指摘するように、丸山の朱子学観がいかに不正確だったとはいえ、果たしてドバリー氏が強調するほど朱子学が個の自覚について肯定的役割を担いうるかという問題は、今後も争点であり続けるであろう。なお筆者は、かつては悪しき混交主義とみなされがちであった「キリスト教の儒教化や儒教のキリスト教化」も、たとえば総人口の約30パーセントをキリスト教徒が占める韓国にみられるように、これからは積極的に肯定されていくべき現象ではないかと質問したが、ドバリー氏の答えは然りであった。
続いての提題は、今おそらく世界で最も注目されている哲学者の一人、チャールズ・テイラー氏によるものであった。彼は、特に近代のリベラリズムが規範的一元論に立脚していると指摘しつつ、文化の「差異」や「多様性」を擁護してきた論者として名高いが、このフォーラムでは、そうした欧米の一元論が「進歩」の名の下に異文化を支配するイデオロギーともなった点を批判し、今改めて、地球的規模で多様な文化が相互に学び尊重し合うことの意義を説いた。これに対し、単に文化の多元性を謳うだけで十分なのかという質問がハーバードの若い学者から出され、またこのセッションだけ同席したベンハビブ教授から、新自由主義の名で蔓延しているグローバル・キャピタリズムに対抗するための自律と連帯の論理がそれだけでは生まれないのではないかという疑問も提出された。それに対し、テイラー氏から、リオタールのいう「大きな物語」が終焉した今日では、地球規模での文化の多元性の承認こそ重要、という答え以上のものを引き出せなかったのは、少々物足りなかった。とはいえ筆者には、そうした慎重な答えの中には、北米に住むリベラルなカトリック教徒でありながら、いわゆるキリスト教文化の独善に陥らず、イスラム文化や他の諸文化と真に対話可能な社会哲学を模索しようとする彼の真摯な姿勢が反映されているように、思えてならない。
そしてフォーラム二日目の最初に、このような文明間対話の重要性を人権論という観点から唱えたのが、国際法学者の大沼氏であった。大沼氏は、グローバルなレヴェルで人権問題を考えるためには、西欧中心主義や国家中心主義を乗り越える比較文明論的アプローチが不可欠とみなしつつ、それが単なる抽象論に陥らないよう、すでに合意が出来上がっている具体的な人権条約などに即しつつ議論を深めていくことが必要と説いた。これまで筆者は、同じ東京大学に籍を置きながらもキャンパスを異にしているため、大沼氏の見解を直に聴くことができなかったのであるが、これを機会に、国際公共哲学という視点の下、国際法学と哲学との対話を身近なところから始めなければと痛感した次第である。
次いで、いよいよ筆者の提題となった。筆者は、公共性という概念が社会諸科学を貫くトランス・ディシプリンであることを確認しつつ、公共哲学は様々な公私の領域で生活する人間の在り方を主題化する必要があり、そのためには、均質な理性的主体を想定するロールズやハーバーマス的アプローチよりも、多様な「自己ー他者」了解をキー・コンセプトにするテイラーやサンデルのアプローチの方がプロミシングであるが、さらにその「自己ー他者」論を国家を超えたトランス・ナショナルな公共性理解にまで及ぼすことが必要なことを唱えた[ⅳ]。そして、近代西欧の偏った進歩主義的社会思想やハーバード大教授でもあるハンチントンが懸念する「文明の衝突」論を乗り越えるためには、比較社会思想のような学問をインターナショナルなレヴェルで発展させ、またかつてピコ・デッラ・ミランドーラが夢見たけれども実現しなかった「文明間の哲学的対話」を今こそ促進させていく必要を説いた。実際、筆者はヨーロッパの社会思想史・社会哲学についてこれまで書物を著してきたが、そもそもそれはヨーロッパの諸思想を賞賛するためではなく、むしろそれらをグローバルなレヴェルで相対化するためである。
このような主張に対し、サンデル氏とテイラー氏が強い共感の意を表してくれたことに、筆者は大いに勇気づけられた思いがする。そしてまたここで、筆者が比較社会思想研究の恒例として汎神論と多元的民主主義思想を兼ね備えたスピノザを挙げたことに対して、サンデル、テイラー両氏とも、スピノザが東西思想の架け橋となりうる哲学者であろうと格別の関心を示したことを、特記しておきたい。なおその他、日本にも住んだ経験があるというモーガン助教授から、トランス・ナショナルな公共空間で語り合う言語は何であるべきかという質問が出たのに対し、筆者は現時点では英語優先とならざるを得ないだろうが、それはアングロ・アメリカ文化を優先させることではない、と応答した。実際、アングロ・アメリカ文化に染まることなく、国際コミュニケーションの手段として英語を使用するという根本姿勢が、今後トランス・ナショナルな公共哲学を発展させる上でますます必要となろう。
提題に基づいての討論はこの二日目までであったが、そのトリを務めたのは、サンデル氏であった。彼は、自らに貼られたコミュニタリアンというレッテルについての誤解を解くべく、自分がこのレッテルを受け入れるとすれば、それは英米で支配的なリベラリズムが暗黙のうちに想定している「負荷なき自己」を批判し、公共性の担い手としての「自己」が、何らかの形でコミュニティに規定されていることを理解するという意味においてであって、単一的な善やコミュニティの多数派主義を擁護する意味では決してないことをまず明言した。その上で、このフォーラムのテーマであるグローバルな公共哲学の可能性について、それはグローバル・ハブリック・フィロソフィーズという複数形でのみ存在可能であるのに、現在の経済グローバリズムはむしろその可能性を蝕んでおり、そうした現下のグローバル・キャピタリズムの横行に対し、自分としては、ポスト・政教分離社会を前提として「聖なるもの」と「公共性」の再結合の可能性を、多様な関連から論考していきたいと締めくくった。
このサンデル氏の提題は、これまで主にアメリカ社会について論じてきた彼の新たな思想的発展と受け取れる。この注目すべき提題に対し、金泰昌氏から、リベラリズムが確立していない東アジア社会においては、リベラリズム批判は藁人形を打つようなものであり、また聖なるものという概念も悪用されがちであるとの疑問が出されたが、その点についてサンデル氏は同意した。筆者からみれば、この両者のずれは、両者が生きている社会的伝統の違いを考慮すれば当然であり、そうしたずれを十分踏まえながら、いかにして国際公共哲学としての文明間対話を遂行するかが今後の大きな課題となろう。そしてそのためには、欧米思想を研究する日本の学者も、できるだけ早く蕃書調所的なメンタリティを克服して、応答・発信型のメンタリティに移行しなければならないことは言うまでもない。
そして、最終日三日目の午前中に行われた大学院生とテイラー、サンデル両氏との討論会は、まさに若い学者がそうした新しいメンタリティを育むにふさわしい内容のものとなった。院生の内訳は、東大総合文化研究科に所属する日本人4 名(男女2名)と中国人1名、一橋大学所属で現在カナダで学んでいる1名の計6名であったが、両氏の政治思想に精通している彼(彼女)らは、ひるむことなく鋭い質問を投げかけ、それに全力で答えたテイラー、サンデル両氏も、内容の濃い討論に大変満足げであった。筆者としては、この討論に参加した院生達が、応答・発信型の研究を今後大いに推進してくれることを期待している。
かくして、大物学者を迎えてのハーバード・フォーラムは幕を閉じた。国際公共哲学が今後可能であるとすれば、それは単一の価値や哲学に基づいて展開されるべきではなく、多様な価値や哲学を尊重しつつ、文明間対話という形で遂行されなければならない。これが、細部においては見解の相違もあったこのフォーラムで最終的に確認されたミニマム・コンセンサスと言えるだろう。
[i]日本語で読めるサンデル氏の著作としては、『自由主義と正義の限界』(菊地理夫訳、三嶺書房、1999年)や、「公共哲学を求めて」中野剛充訳(『思想』1999年10月号、岩波書店、34-72頁)が挙げられる。
[ii]国際公共哲学・駒場フォーラムの模様については、「東京大学・教養学部報」、1999年12月1日号の第2面を参照して頂ければ幸いである。
[iii] ドバリーの著作としては、『朱子学と自由の伝統』(山口久和訳、平凡社、1987年 但し絶版)が訳されているが、最近の彼は、Asian Value and Human Rights : a Confusian Communitarian Perspective, Havard University Press, 1998を著し、儒教をリベラリズムよりコミュニタリアニズムに引き付け、その意義を説いている。
[iv] なお、このような筆者の見解について、昨年出した拙著『新社会哲学宣言』(創文社、1999年)をも参照して頂ければ幸いである。
土曜日, 10月 6th, 2007
山脇直司著『経済の倫理学』をめぐって
竹中英俊
手元に塩野谷祐一著『経済と倫理』(東京大学出版会、2002年4月)、金子勝著『経済の倫理』(新書館、2000年11月)がある。鈴村興太郎・後藤玲子著『アマルティア・セン 経済学と倫理学』(実教出版、2001/2002年)や後藤玲子著『正義の経済学』(東洋経済新報社、2002年6月)を含めると、経済と倫理をめぐって、日本人による日本語の著作が目白押しであることが分かる。邦訳の書物を含めるならば、もっと多くなるだろう。
そして、著者からの寄贈を受けて昨日読み終えた『経済の倫理学』がある。これは今年3月から刊行されている丸善の倫理学シリーズの一巻を構成するものとして書き下ろされたものである。読者対象としては、サラリーマンや学生など一般読者としているシリーズであるが、本書は、レベルを落とすことなく、現在の問題点を明確に示し、過去の知的遺産を手際よく示し、そしてこれからの新しい課題に果敢に挑戦しているものである。その意味で、一般読者のみならず、関連する分野の専門研究者にとってもぜひ読まれるべき本である。
現代の経済学においては経済を倫理的に捉えるという観点が消えてしまい、倫理なき経済の論理が一人歩きしている――これが著者の出発点である。しかし、過去を見るならば、古典古代以来のヨーロッパにおいても江戸期以降の日本においても、「経済の倫理的考察」は綿々と続いてきた。倫理と経済が別個に考察されるようになったのは、ヨーロッパにおいては、マーシャルを受け継いだ新古典派経済学以降であり、日本においても、戦後のマルクス経済学・近代経済学以降である。方法的には、科学主義ないし数学主義的な経済理解の浸透によって、経済活動(行為)や経済制度(組織)において重要な役割を担う規範の取り扱いが矮小化されたからである。
これらを踏まえ、著者は経済の倫理学の新しいパラダイムを打ち出す。それは、「義務・徳・財=善」という経済を捉える倫理の三つの観点であり、従来の公私二元論に代わる「公・公共・私」の相互作用的な三元論である。前者では、効率主義・効用主義・ベンサム主義と訣別し、経済倫理学を義務論・徳論・財=善論の観点から構築し、正義・基本的権利・責任・ケアという重要な倫理学的概念と関連付ける。後者では、「政府の公」「民の公共」「私的経済」という三元論を導入して、経済を捉える視点を鋭利にし豊かにし、さらにNPO・NGOの位相を明確化する。
そして、経済倫理学の学問横断的な役割を示すために、「進化する経済社会」の認識と倫理とのかかわりをめぐる争点、「好ましい経済秩序」をめぐる政治哲学・社会哲学的な争点、社会福祉・社会政策をめぐる倫理学的争点を取り上げる。最後に、「人間社会の活性化」のための倫理的思考のあり方、グローバル化時代における経済倫理学の役割と課題を提示する。
以上のように、本書は、現代的な関心のもとに過去の知的遺産を再構成し、新しい経済倫理学を構想し、さらに公共哲学につなげるという、壮大な構想をもって描かれている。個々の細部の議論については、専門的につめなければならない箇所があろうが、最も重要なことは、この著者の構想を参照して、読者自らの関心と問題意識がどこにあるかを洗い直し、そして、現代の閉塞状況を打破するために、人間社会のあり方を模索することであろう。この観点から本書を捉えるならば、本書は、豊かな鉱脈を掘り当てており、多くの示唆に富むものである。
HT 2002年10月20日(日)
