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日本外交の哲学的貧困 山脇直司(東京大学)

Posted: on 12:46 pm | 主張・意見・コメント(opinions), 平和問題

山脇直司(東京大学)2003年11月2日
ご紹介に与りました山脇直司と申します。今の、天木さんのお話を大変興味深く窺いました。特に、レバノンという現場の体験に即して、アメリカのイラク戦の不当性、小泉外交の危険性のみならず、あるべき外交のビジョンまでを示唆してくださったことに、深く感動いたしました。それで私としましては、今の天木さんのお話を補完すべく、外務省との利害関係を全く持たないひとりの学者の立場から、明らかに不当で国際法的にも違法なかたちで、アメリカが起こしたイラク戦争をめぐり、この10ヶ月の間に明らかになった日本外交のおそるべき哲学的貧困とそれを支えた御用学者と呼ばれても仕方のない方々、特に東京大学の先生、また社説で放言を繰り返した一部の大新聞の責任を指摘(追及)して、こうした事態を正すのはどうしたらよいかについて、皆さんに考える材料を提供したいと思います。

今から、9ヶ月前の2月6日にこの900番教室で、元国連大量破壊兵器主任主査官スコット・リッター氏の講演がありました。当日は会場に入れないでお帰りになった方々が500人以上も出るくらいの盛況で、一般の方々の関心の高さを思い知らされたわけですが、聴衆の一人としてまず、そこで彼が話したことのポイントを振り返ってみたいと思います。リッター氏は、自らの体験とデータに基づいて、現在のイラクに国際社会を脅かす大量破壊兵器があるという主張の無理を指摘し、根拠もなくイラク攻撃へと突き進むアメリカ政府を厳しく追及しました。そこで彼が話した最も印象的な言葉を述べて見ましょう。彼はこう言いました。「無条件に抜き打ちができ、イラク側の協力が得られる現在、必要な時間と人員を投入して徹底的に査察を続行すれば、イラクを100%非武装化できます。―――私がこの戦争に反対するのは、非愛国的なことではありません。アメリカの建国の理念、憲法に書かれた「自由」や「民主主義」を守るという愛国的な行為です。―――真の友人は、酔っ払った運転をしようとしている友人を許しません。アメリカの真の友好国ならアメリカの行為にブレーキをかけるべきです。」この言葉からわかるように、彼は祖国を裏切るような反米主義者では全くありませんでした。むしろその逆です。あまりにも理不尽なブッシュ政権の不当さを、逆にアメリカの憲法の精神にもとると確信して批判したのです。

このリッター氏の発言から、10日あまりの間に何がおこったか、振り返ってみましょう。2月14日の深夜、私は固唾を飲んで国連の安保理の実況中継を見ていました。最初にブリックス国連監視検証査察委員長が何を言い出すか、緊張して聞いていたのですが、彼が査察の一定の成果と続行の必要を述べた瞬間、パウエル国務長官の思惑がはずれたことがはっきりし、続くエルバラダイ国連原子力機関事務局長の演説でそれが鮮明となり、シリア代表がその報告に感謝し、フランスのドビルバン外相が古い欧州の知恵を述べ、中国も平和文明の意義を唱えるといった攻勢に出て、アメリカ形無しといった感じで、リッター氏の講演どおりのことが立証された様子でした。ところが、私のショックはこの実況中継直後に起こったのです。それは放映直後のNHKが、「ごらんのように安保理がイラクの非を追認して終わりました」というポイントをはずした実にとんちんかんでミスリーディングな解説をしたからです。これはNHKがそうした状況を理解する能力がなかったからなのか、安保理での意外な展開をあらかじめ想定できずに、用意すべき原稿がなかったからだったでしょうが、公共放送としてじつにお粗末な恥ずかしい報道だったと思います。いやそればかりではありません。ついでにインターネットで新聞各社のホームページを調べたら、当初はNHKと大差ないピンとはずれなものばかりでした。それで、みなさまご存知のように、この安保理での議論がきっかけになって、翌2月15日は世界各地で計100万人にも上る恐らく史上最大の反戦デモがあったわけですが、さすがに自らの誤報に気づいたのか、次の日の各社のホームページは内容が変わっていました。しかし、このような実に自然に起こった反戦デモ(かつての左翼運動とは異質なごく自然な運動!)に対して、小泉首相や川口外相が放った放言、すなわち「このようなデモはイラクに誤ったシグナルを与える」という放言は決して忘れるべきではないでしょう。しかしよく考えてみますと、このような放言は、首相や外相が独自で判断して放たれたもののようには思えません。その背後にいる外務省やそのお抱えのブレーンたちの進言が反映されているはずです。

2月22,23日に千葉大学で、板垣先生や元国連大学副学長の武者小路先生などをお迎えして、イラク戦反対の緊急会議(イラク非戦会議)が催されたときにもそのことを指摘したのですが、その1ヵ月後、安保理決議に失敗したアメリカが単独で起こしたイラク戦争が始まった時点で、私のショックはさらに深まりました。それは天木さんが大問題にしたように、アラブ諸国の反応を全く顧慮しない小泉首相の「イラク戦を支持します」という明言と、それを称賛した首相を取り巻く評論家の他に、元来、外務省とから自由にものを言うことができるはずの大学人、特に東大教授の対イラク戦支持の発言によってです。それはショックを通り越して、あきれはてたといった方がよいでしょう。すでに3月の時点で公共哲学のメーリング・リストで二回ばかり批判し、現在でもインターネットに載っていますが、その実例をここで紹介しましょう。

3月30日付の読売新聞朝刊の一面と二面にかけて、元外交官で現在外交評論家の岡崎久彦氏の「勇気ある小泉発言」という記事が大々的に載りました。この記事のコピーが今皆様の手元にあると思いますが、これは、小泉首相のイラク戦支持を称賛するだけではなく、安保理決議なしのイラク攻撃は正当かというまっとうな議論をワイドショー的議論と切り捨てて、アラブ諸国との国益を無視し、一方的にブッシュ政権に協調(というより盲従)だけを国益と決め付け、さらにブッシュ政権に知日派が多いことを自慢し、今がアメリカの政権では期待できない日本外交のチャンス到来などと、したり顔で語った記事です。これを読んで私は、「公共性を欠いた外交の私物化」のお手本として永久保存版だとMLで批判したのですが、その時、非常に気になったのは、岡崎氏が自分の正しさを裏付ける決定的発言として、二人の東京大学の政治学者の名を出したことです。この二人は、駒場ではなく、本郷キャンパスでかなり重要な地位を担っている方々であり、私自身別に親しいわけでも、また私憤をもっている方々でもありません。また、読売新聞だけではなく、最近は、朝日とか毎日新聞に顔を出す方なので、少なくとも、スコット・リッター氏並の感覚はお持ちだろうと今にして思えば幻想を思っていたのですが、その後、皆様もお手元にあるような彼らが2003年3月5日に開かれた某研究所主催の「日米関係はどう変わるか」というタイトルの公開セミナーでの発言を読んでみると、実は全くそうでないことが判明しました。なお、実名を挙げるのはいくら同じ学部に属していないとはいえ、同じ大学に属しているものとして心苦しいので、名前のところは消してあります。それで毎日や朝日によくでてくる一人の東大教授は、こう述べています。00ページをご覧下さい。「――武力介入をしていくために国連の安保理決議が必要かどうかに関しては、イラクに対して国際社会の総意を示すのが望ましいが、不可欠とは思えない。国連安保理が新たな決議案を承認しないがために武力行使を中止したと仮定した場合でさえ、大量破壊兵器がテロリストグループに渡る危険性を削減する手段として、武力行使は査察の継続よりも有効だということができる。安保理の一部常任理事国が、アメリカの武力行使に拒否権を発動するのは、現在の国際秩序の維持に反対することを意味する。最後に、米国の武力介入に対し、日本はそれを支持すべきかどうかに関して、私は支持すべきだと信じる。早期の武力行使は査察継続より効果的だという議論から、日本は早期の武力行使を支持すべきだろう。――要約すると、国際社会は早期の武力行使をすべきかという質問に関する私の答えはおそらく(英語ではきっぱりと)イエス。新国連安保理決議は必要かどうかには、望ましいが不可欠ではない。武力行使を日本は支持すべきかどうかにはイエスである。」これは、リッター氏の発言とあまりにも好対照をなす発言で、今から思えばその影響力の大きさと相まって、彼の政治学者としての判断力のでたらめさが糾弾されなければなりません。この教授は、実は「ワード・ポリティックス」という本で、なんと吉野作造賞をもらっているのですが、こうしたご自身の言葉に対する責任を是非とってもらいたいと思います。

またもう一人の教授は、北朝鮮問題を引き合いに出し、「米国は大変よい世界の警察官として今まで機能してきたし、アメリカ以外にその警察官の役割を負える国がない。人々を説得する一番の方法は、アメリカの支持が北朝鮮問題について必要であれば、イラク情勢ではアメリカを支持しなければならない、ということである。―――日本のリーダーや政治家に期待するのは勇気を持って率直にアメリカを支持すべきであり、戦後の世界秩序構築のために日米同盟が重要なのだと国民に向かって語りかけるべきだと思う。それが、われわれが対イラク戦争で米国を支持する理由である。」と断言しています。そして、このような自分達の意見が朝日新聞に載るのは自分たちが変わったのでからではなく、朝日新聞が変わったからであるという事を誇らしげに語っています。なんとも、うぬぼれに満ちた国民を愚弄した発言ではありませんか。北朝鮮の人権弾圧に関しては、私は過去の左翼知識人の言動も含めて徹底的に糾弾すべきだと思いますが、その脅威を徒にあおり、アメリカにたてつくのはこわいからアメリカの不当なイラク戦まで支持せよというのは全くの論理のすり替えであり、おそらく天木さんが読んでもあきれると思われます。しかしこれが影響力の大きい東大教授の発言で、外務省のお粗末な外交の後押しをしたことを思えば、ことは深刻です。私は東大法学部のことをとやかく言いたくはありませんが、明らかにこの教授の発言には、鼻持ちならないエリート史観を感ぜずに入られません。実際この方は、『エリート教育は必要か。――戦後教育のタブーに迫る』という本を読売新聞社から出しておられますが、このような意味でのエリートなら要らないとはっきり申し上げたいと思います。

さて、この三人の方々の外交論で露呈した欠陥をここではっきりさせておく必要があるでしょう。その欠陥とは、第一に、外交の主体は自分たちを含めたナショナル・エリートが行なうものであり、国民の公共性による正当化など軽視していいという歪んだエリート主義です。次に、国際法や国連よりも日米同盟が重要だから、どういう理不尽な行動をとろうともアメリカにたてつくなという「長いものには巻かれろ」の恩顧主義です。しかしこの見解は、8月に私たちが公表した非戦声明で触れたように、日米安全保障条約が国連憲章の遵守を日本政府に義務づけていることを忘れたものです。また、この方々には、日本が被爆国であり、そのことを踏まえて発言するという視点が全く欠けています。そういう意味で、この方々はリッターの言う愛国主義者ではありません。学者としての特権を生かして、利害を超えた普遍的な理念を追求する姿勢が全く見られないのです。外務省との距離感を保って、平和などの普遍的な理念を考えることを全く放棄しているこの方々は、残念ながら御用学者と呼ばざるを得ません。そして最後に恐らく、この方々にとって最も致命的なのは、イラク戦が現在のような悲惨な帰結招くという結果に対するリアリティの感覚が全く欠けていることです。3月の時点で、私たち公共哲学ネットワークが出した声明の危惧が現在恐ろしいほどあたっているのに比べ、この方々はなんと能天気なことでしょう。特に二人の先生方は、政治学者としての資質を疑われてもしようがないと思います。リアリストが強調してやまない結果責任を是非自らとってもらいたいと思う次第です。

それと時間がもうあまりないので、簡単に済ませますが、この10ヶ月の間の読売新聞編集部の社説には、あきれ返りました。岡崎氏の論を堂々と一面に載せるくらいですから、内容は推して知るべしですが、「米英の判断は正しかった」と言い張った(現在でも言い張る)責任は追及されて然るべきです。

では、外交をこのような歪んだエリート主義者たちやその意見を載せ続ける大新聞に任せておけないとなればどうすればいいでしょうか。これは第二部のテーマですが、少なくとも、理論的にも実践的にも外交の公共哲学なるものを発展させなければならないことだけは確かです。それは、外交がグローバルなレベルでの民の福祉のためにあるという基本理念に立脚し、アマルティア・センなどが提唱している人間の安全保障の理念とも合致する哲学だと思います。また、NPOの方々にがんばって頂き、このような機会をできるだけ多く設けて、一般の人々との対話を促進するパブリック・インテレクチャアル(公共的知識人)の力もエンパワーしなければなりません。前途は多難ですが、大学人の責任を痛感する次第です。なお、これは右とか左とかいうイデオロギーの問題ではありません。大学人の質の問題です。以上簡単ではありますが、天木さんのお話を補完すべく、お話をさせて頂きました。

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