Posted: admin on 1:07 pm | 主張・意見・コメント(opinions), 教育基本法改正問題
教育基本法改正案の大きな争点は「愛国心」の導入である。しかし「公共の精神」(前文、2条3項)の意味も問題だ。というのは「公共」の意味が改正案全体の中で整合的に吟味されていないからである。
「公共」とは、一口でいえば「特定の国民だけでなくすべての人に開かれている共通の関心事」で、「異質な他者と対話し、触れあいながら、協働で生活を築き上げる広場」を意味している。「市民社会」を形成するためのダイナミックな概念だ。
これに対し、「公」は従来の日本語では、国、官、政府、お上、天皇といった「おほやけ」の意味で使われてきており、両者はまったく違う。
改正案には「法律に定める学校は、公の性質を有する」(6条1項)、「私立学校の有する公の性質」(8条)と「公」の言葉も使われているが、文脈に沿って読む限り「公」と「公共」は何も区別されていない。
意味の違いを考えれば、私立学校が有する性質は「公」ではなく「公共」のはずだ。要するに今回の法案は、「公」や「公共」という日本語の言葉や概念の使い方がいいかげんで、まるで「伝統と文化を尊重」(2条5項)していない。こんなずさんな法案を「教育の憲法」として、確定していいのであろうか。
今回の法案に先立ち、文部科学省の中央教育審議会が02年11月、教育基本法改正についてまとめた中間報告では、「公共」は国境を越え、国際的に市民社会の成熟を目指す積極的な概念ととらえていた。
それは例えば、「地球環境問題など、国境を越えた人類共通の課題が顕在化し、国際的規模にまで拡大している現在、互恵の精神に基づきこうした課題の解決に積極的に貢献しようという、新しい『公共』の創造への参画もまた重要」といった表現に見てとることができる。
だが、03年3月の最終答申では、この一文はなくなり、中間報告で感じられた新たな市民的公共性の息吹は抑え込まれてしまった。
この方向は、国会で審議中の改正案でも踏襲されて強化され、「公共の精神」は「公の秩序」と同義語になってしまった。新しい「公共」と古い「公」(=お上)の違いはとてつもなく大きい。
前文などに「公共の精神」として盛り込まれている「精神」の意味も気になる。そもそも、第2条で「教育の目標」と称し、法律文にくどくどと徳目や「精神」が説かれていることも問題だ。精神主義を鼓吹しているのではないか。
愛国心と同時に連想するのは戦前の民族精神である。この場合の「精神」は少し歴史を調べれば分かるように「滅私奉公の心」という内容をもっていた。
「公」にしろ、「公共」にしろ、国家や国民、市民社会の根幹にかかわる言葉だ。戦後60年を経てもなお、これらが十分に深められていない中で、教育基本法や憲法が改正されようとしている。仕切り直しをして国民的な議論をもっと深めることを提言したい。
◇ 47年生まれ。著書に「宗教と公共哲学」「靖国神社『解放』論」など。
同記事の参考文献として以下の2書を挙げておく。
(1)稲垣久和著『靖国神社「解放」論』(光文社ペーパーバックス、2006年)45-65頁からの要約
・滅私奉公の「公」とは何か
公に命を奉げる、滅私奉公とは私自身を押し殺して(滅して)公に奉仕する、という意味です、戦時中に頻繁に使われた言葉でありました。そもそもここでいう公とはどういう意味でしょうか。
公という言葉の日本での使われ方を近年の研究から簡単にまとめると、以下のようなことです[1]。
古代日本では、大きなイエ(大豪族)を指すオホヤケ(大宅)と、小さなイエを指すヲヤケが重層的になり、それによって権力構造ができていました。8世紀の律令国家成立期になって、中国語の「公-私」の概念が輸入され、オホヤケが公に引き付けて理解されました。それ以後の日本で「公」は天皇、貴族の支配階層をそしてやがて国家機構や官を意味する概念として使用されてきました[2]。それに対して民に重きをおいた「公共」という言葉が登場するのはずっとあとで、江戸時代の儒学者の文献が初めてであり、特に幕末期の横井小楠によって明確な意味を込めて使われました。
しかしながら、明治維新は維新とはいうものの現実には王政復古であり、古代律令体制を復古するような体裁をもってスタートしました。もっとも古代律令体制とはいっても、天皇の権力は形式的なもので、絶対主権的天皇などというイメージとはほど遠いものでした。それに比べて、明治近代では西洋式に強い君主主権を導入し、公共ではなく<公=国家、天皇>に権力が集中されることとなったのです。公に命を奉げるとは、天皇に命を奉げるということであり、これが靖国神社(東京招魂社)の起源となりました(これについて後に詳述します)。もっとも今日では、公園、公衆、公務員などのような共同、共有のような意味でも「公」という言葉が使われている面もあることは注意しておいでしょう。
日本が「公」という言葉を輸入した中国での「公」の使われ方について、簡単にコメントしておきます。というのは日本とかなり様子が違うからです。中国における「公」は日本と同様な①朝廷、政府、国家 ②社会、共同、共有、の意味に付け加えて③平分、公平、公正、の意味が強くありました[3]。なぜ中国では「公」に③公平、公正の意味が付け加わったかというとそれは、「天」の観念があるからです。
中国には古来、天が民を生ずるといういわゆる生民の思想、すなわち民は国家・朝廷に帰属するのではなく、天・天下に帰属するという思想がありました。だから天の観点に立てば、民衆が「公」で、朝廷・国家が私とみなされることすらあるというのです[4]。今日の共産党政権のもとでも、中国で民衆の力が強いのは、また近年の草の根NGO[5]の目ざましい活動は政府ではなく人民こそが「公」であるという、中国の伝統思想からきているのでありましょう。
・滅私奉公から活私開公へ
「公共」という言葉は日本国憲法に「公共の福祉」という言い回しで4回(12条、13条、22条、29条)も使われています。それにもかかわらず、その意味が十分に確定されていません。筆者は公共哲学という名を冠した本を書いていますが、そこで「公共」の意味を詳しく説明しました。公共哲学は英語のpublic philosophy の輸入版ではありません。そもそも公共哲学の「公共」は英語のpublic よりもずっと広い意味を持っていて、東アジア的、儒教的概念として理解した方が正しいのです[6]。すなわち、「公」ではなく「公共」へシフトさせ、この閉鎖的、特権的な公を開いていく努力です。「私」を滅私という方向で忍従させ殺す方向ではなく、積極的に活かしていく、こういった発想を近年の公共哲学運動では滅私奉公ではなく活私開公と呼んでいます[7]。ここで「私」の意味は「自己」であり同時に「個人」であるような人格ということです。かけがえのない私、他に替えがたい希少価値としての私、人権や権利の主体である私、ということです。明治の近代以降、特に戦時中にはこの「私」の領域がほとんどなく、「公」である天皇に直接に従属し吸収されていくような傾向が強くあった(滅私奉公)、そのことを後に詳しく見ます。
最近、愛国心の強調や、教育基本法の改正の動きのなかに、ふたたび、公や国家への従属を奨励する戦前回帰のような論調が強くなっているのは要注意です。それは戦後社会において、「私」が私利私欲のみを主張するエゴイズムとはきちがえられたことへの反動でありましょう。
滅私奉公的な公私二元論に近い政治思想は、西欧でも存在しました。それは、近代には、官僚制に支えられた家父長制的[パターナリスティック]なシステム世界として現れました。これに対して、市民の生活世界と、そこでのコミュニケーションにもとづいた現在にあるべき民主主義を、市民的公共性という言葉と概念によって示したのは、ユルゲン・ハーバーマスでありました。ハーバーマスは『公共性の構造転換』の新版序言(1990年)で、今日的な民主主義の目標を「生活世界の擁護」のため、と次のように述べています。
目標は、もはや自立した資本制的な経済システムと自立した官僚制的な支配システムとの《止揚》などではなく、生活世界の領域を植民地化しようとするシステムの命令の干渉を民主的に封じ込めることである。……その結果、連帯という社会統合の力が貨幣と行政権力という他のふたつの制御資源がもつ《権力》に対抗して貫徹され、それによって生活世界の使用価値志向的な要求が通るようになることをめざすのである[8]。
公権力と市場、その双方からの圧迫、これらが地域住民や市民の生活世界を植民地化しようとします。そこで、この生活世界の近くに社会学的なアソシエーション(結社)関係を対応させ、この多様な結社、NGO、NPOなどが、公共的討論に参加して政治が決定されていくようなプロセスを描いています。これが新たな公共性を成り立たせる市民社会の姿である、と。そしてさらに
《市民社会》の制度的な核心をなすのは、自由な意思にもとづく非国家的・非経済的な結合関係である。もっぱら順不同にいくつかの例を挙げれば、教会、文化的なサークル、学術団体をはじめとして、独立したメディア、スポーツ団体、レクレーション団体、弁論クラブ、市民フォーラム、市民運動があり、さらに同業組合、政党、労働組合、オールタナテイヴな施設にまで及ぶ[9]。
「非国家的」とは公権力から距離を置くこと、「非経済的」とは市場原理主義から距離を置くことを意味します。ハーバーマスによれば、東欧の民主主義革命を経て、ヨーロッパの1990年代は、市民的公共性の再発見の時期にありました。この延長上にEU(ヨーロッパ連合)の新たな民主主義があるのです。それは60年前まで戦争をしていた隣国どうしが、19世紀的な国家主権を弱め、市民主権に移行しつつある努力をしている姿です[10]。
しかし日本の場合はどうでしょうか。近隣諸国と東アジア共同体を築くことはおろか、むしろ逆に、いまだに国家主権をゴチゴチとぶつけ合って摩擦を起こしている状態ではないですか。首相の靖国参拝はその大きな原因の1つです。これを克服するにはどうすればよいのか。
まずは、公私二元論の現実を直視し、その現実の克服から出発することです。国内に残る滅私奉公の風潮や官僚主導の政策決定プロセスを打破し、市民層が成長して自治能力をつけること。ネオリベラル路線ですべてを市場化するのではなく、「官から民へ」をたんに郵政民営化に矮小化するのではなく、地方分権などを税源移譲も含めた形で具体化すること。地域の住民が自覚した主体として立ち上がること。そして、日本の最大の構造改革と思われるのは、滅私奉公イデオロギーの具現化としての靖国問題、これを市民の側から解決しようとの意欲を持つことです。これは精神革命になっていくでありましょうが、しかし、市民的公共性の成熟の試金石となるものです。
(2)稲垣久和著『宗教と公共哲学』(東京大学出版会、2004年)237-239頁からの抜粋
・教育基本法改正の問題
中央教育審議会が教育基本法改正のための答申を、2003年3月20日に文部科学相に提出した。五十数年にわたって日本の民主主義教育の指針となってきた教育基本法をどのように改正しようというのであろうか。答申には「新しい公共の創造」とあるが、これは何を意味しているのか。「公共に主体的に参加し」とあるのに並んで、「郷土や国を愛する心」などの文言にも力点がおかれている。また「日本は天皇を中心にした神の国」発言をした森喜朗前首相、彼の私的諮問機関だった教育改革国民会議の意を受けた基本法見直しであることを思えば、「新しい『公共』を創造し」「公共に主体的に参加し」などの文言は市民レベルの「新しい公共の創造」とは真っ向から衝突するのではないか。教育現場で日の丸・君が代実施を半強制している文科省行政を見ればなおさらその疑惑はぬぐえない。キリスト者の矢内原忠雄が、かつて当時の荒木文相の教育基本法改正の意見を批判して述べた言葉をまた繰り返さねばならないであろう。「日本人に欠けているものは愛国心ではなく、人格観念である。人格は人間の尊さの実質をなすものであって、人間の自由と責任の根底である」(1961年1月「中央公論」)[11]。
中教審はこの答申の前に、2002年11月14日に、その前およそ1年かけて議論してきた内容を中間報告として出している。そのときには「公共」という言葉と概念にはもう少し積極的な内容が込められていた。「新しい『公共』の創造に主体的に関わろうとする態度の育成」といった文言は、戦後の市民運動の成果を取り入れた表現であるかのように見えた。それがトーンダウンし、公共が完全に古いタイプの「公」(=お上)の概念に戻ってしまっている。具体的に挙げれば、昨年11月の中間報告には、第2章「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」、1.教育基本法の見直しの必要性、(1)教育基本法見直しの視点の4番目に次のように書かれていた。
「公共」に主体的に参画する意識や態度の涵養の視点
個人は、一人だけで安全に生きていくことができるものではない。自らの生命や自由を守り、自らの幸せを追求するためには、対等な個人が集い、その信託によって社会や国という「公共」をかたちづくることにより、それを通じて自らの安全や権利を享受できるようになるのである。そして、このような「公共」をつくり、維持することができるのは、その構成員であり主権者である国民一人ひとりであって、他の誰でもない。
このことを踏まえ、21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成を図るためには、政治的教養(政治に関する知識や判断力、批判的精神など)に加えて、国や社会など「公共」に主体的に参画したり、自他の権利を守るために「公共」に共通の社会的なルールを作り、遵守する意識や態度を涵養し、個人の尊重との調和を図ることが重要である。また、地球環境問題など、国境を超えた人類共通の課題が顕在化し、国際的規模にまで拡大している現在、互恵の精神に基づきこうした課題の解決に積極的に貢献しようという、新しい「公共」の創造への参画もまた重要となっている。
それが2003年3月20日の答申では次のような陳腐なものに矮小化されてしまった。
人は,一人だけで独立して存在できるものではなく,個人が集まり「公共」を形づくることによって生きていくことができるものである。このことを踏まえて,21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成を図るため,政治や社会に関する豊かな知識や判断力,批判的精神を持って自ら考え,「公共」に主体的に参画し,公正なルールを形成し遵守することを尊重する意識や態度を涵養することが重要であり,これらの視点を明確にする。
ここには、社会が国家に包み込まれてしまうような感のある古いタイプの「国家・社会」というような発想、それが「公共」であるとする矮小化が見られる。まず「国家」が先にきて「国境を超える」ことがない、こういう国家主義のイデオロギーが先行する中でいくら「公共」を語っても、そこでは市民の側からの生活のニードに応じたボトムアップな市民社会の形成とはならない。
そして「地球環境問題など、国境を超えた人類共通の課題が顕在化する中で、『公共』が国際的規模にまで拡大している現在、互恵の精神に基づきこうした課題の解決に積極的に貢献しようという、新しい『公共』の創造への参画もまた重要となっている」という表現の今日的な積極性も削除された。
また「自らの国や地域の伝統・文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付ける」という文言があるが、日本の伝統も文化も複数形で語らなければならないということを答申の執筆者は了解しているのであろうか。もしそうであるならばはっきりとそのように書くべきである。すでに見たように、日本の伝統には仏教者やキリシタンが「仏法と王法」「神の法と王法」のはざまで「良心の自由」のために、当時の権力者に抵抗して、抵抗権思想や民主主義思想の萌芽を形成した事実もあるのだから。
[1] 佐々木毅・金泰昌編『公共哲学』シリーズ第1期(東京大学出版会、2001-2004年)第1巻、第3巻参照(以後『公共哲学』第1期は巻数のみ記す)。
[2] 水林たけし「日本的公私概念の原型と展開」(『公共哲学』第3巻所収)。
[3] 溝口雄三「中国思想史における公と私」(『公共哲学』第1巻、36頁)。
[4] 同上(書、42頁)
[5] 王名、李妍?、岡室美恵子『中国のNPO』(第一書林、2002年)参照。
[6] 稲垣久和『宗教と公共哲学』(東京大学出版会、2004年)p.ix.
[7] 金泰昌(『公共哲学』第1巻273頁参照)。
[8] ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』(未来社、1990年)p. xxvii。
[9] 同書、p. xxxviii.
[10] 辻村みよ子『市民主権の可能性』(有信堂、2002年)。
[11] 矢内原忠雄『教育と人間』(東京大学出版会、1973年)21頁。